― いい加減にふざけるってのが、結構重要なんですよね ―演出家・中野志朗インタビュー

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今回は、2022年度の第 3 回研修科発表会『ぬれた翼の銀の色』で演出を務める中野志朗さんのインタビューをお届けします。

演出家を志したきっかけやベルリンでの在外研修時代の思い出など、盛り沢山の内容でお届けします。


どうぞ最後までお楽しみください!

(演出:中野志朗


―――演出家を目指したきっかけや大学時代の活動についてお伺いしたいです。


 きっかけというのはかなりいい加減でね。僕の両親が俳優座で芝居やっていまして……

一同:へえ~!

 そうなんですよ。それで高校ぐらいから親の芝居を観に行くことはあったんだけど、自分がやるってことはその時は全然考えてなくて。でも大学3年生の時かな、将来どうしようかなっていう時期に、親の姿を見ていたこともあって、演劇は面白そうだなと思って。でも親と同じ俳優は嫌だなっていう消極的な理由で、じゃあ演出コースにしようと(笑)

ただ俳優もそうだと思うんだけれど、演出の面白さって、やったことがないと分からないと思うんですよ。だから僕の場合は、最初はいろいろな本を読むばかりで。「やってみたら面白いかな…」とは思っていたのですが。

 準座員になって、初めて演出をする機会がありました。演出が大変な作業だということは、それまでにスタッフや演出助手をやる中で分かっていたつもりでしたが、実際にやってみると本当に大変で...。でも公演が立ち上がる瞬間に、その中心にいるってすごく面白いと思って。それで演出を始めてから、また来年もやってみようという風に転がり始めました。自分の場合、最初に何か決意があって「よーし目指そう」というのとは違って、やり始めてみて、これはちょっと面白いかもと思い始めて、未だに格闘しながらやってるっていうことですかね……

 だから、まあ演劇って結局「やってみて面白いか」みたいなのが重要で。いわゆる一般的な「ここの会社に入ったら俺は偉いかも」というのとは全く違って、やってみて面白いなと感じるかどうかですよね。もちろん生活のこともあるから、好きなことばかり追い求めるのは難しいかも知れないけれど、やっていて面白い人が演劇の世界に残ってくのかなと思ってますね。



―――大学時代は演劇をされてたんですか?


  演劇はやってないんですよ。僕は音楽のブルースが大好きなんです。凄いマニアックな世界ですけど。文学座でも沢田冬樹さんがブルースハープを吹いていますよね。僕も学生当時、もの凄い下手っぴいですけどブルースハープを吹いていました。大学のブルースサークルに遊びに行ってお酒飲みながら吹くくらいでしたから、大した活動はしていないのですが(笑)


―――次に、研究所時代の思い出についてお伺いしたいです。


  僕が研修生だった頃は、研修科発表会でも舞台美術はリアリズム方式で部屋を飾るのが当たり前だったので、朝から晩まで大道具の仕事をやっていました。しかも当時は全部釘打ちで、今のようにインパクトドライバーは使いません。それから文学座の本公演を手伝うこともよくあって、研修科1年生の時だったかな、一年の半分くらい旅公演に参加していたおかげで、研修科に上がったのに他の演技部の研修生の顔を知らないという状態に陥りました(笑)。秋口くらいに「初めまして、中野です」と言ったのを覚えています。研修科時代の思い出は、ひたすら作業を鬼のようにやっていたということですかね…(笑)

 あと、僕が1年生の時に一期上の卒業公演で、岩松了さんの『アイスクリームマン』という作品を、亡くなられた坂口芳貞さんの演出でやったんですよ。で、人数足りないから、僕が小説家の役でちょろっと出たんです。若い女の子に手を出して「あいつはなんて奴だ」って言われるような役なんですけど。すごく緊張しながら一生懸命に役者をやった覚えが(笑)

一同:(笑)



―――ご自身の人生に影響を与えた作品は何ですか?


 ハイナー・ミュラーという作家の『ハムレットマシーン』ですね。ミュラーが亡くなって20年以上が経ちますが、僕が20代を過ごした1990年代ではヨーロッパを中心にすごいブームがあって、『ハムレットマシーン』が当時は衝撃を持って迎えられたんですね。ミュラーが活動した東ドイツは共産主義国家で、作家になるためには政府公認の協会に入らなければならず、政府に批判的なこと書いたりすると協会を除名になるんですよ。今は想像もつきませんが、政府に楯つく演出家は炭鉱労働させられるという、すごくハードな時代だったようです。

 僕は高校生でしたが1989年にベルリンの壁が崩壊して、その後ドイツが統一してゆく中で、『ハムレットマシーン』は大ヒットしました。世界も歴史も大きく変わって、そこで台風の目だったのが当時のベルリンなんですよ。それでベルリンに憧れまして、その憧れの中心にミュラーがいた。ミュラーは95年に亡くなったので、亡くなって大分経つんですけど、たまに読み返したりすると、昔はこういうのに憧れてたんだなと、自分の20代を思い出します。


―――中野さんはベルリンで1年間の在外研修をされていましたが、そこで感じた日本とドイツ演劇の違いについてお伺いしたいです。


  僕が滞在したのは2007年から2008年なので、もう15年近く経つんですけど、今なお日本とドイツでは大きな違いがあります。例えばフランスなんかもそうなんですけど、基本的に芸術は社会の財産なんです。だから税金で支えていくというのが基本で、莫大な予算が行政から下りています。特にベルリンの場合は、「ベルリンでやってる演劇には、世界からお客が来るらしいよ」ということがあるので、かなり潤沢な予算が設けられていると…。

だからチケット収入に縛られない自由さがあるんですよ。例えばフォルクスビューネという劇場があって、それこそハイナー・ミュラーも活動していた劇場なのですが、チケット採算を考えないで済むので、とにかく尖りまくった前衛劇ばかりやっていました。

覚えているのは『トレインスポッティング』という作品で、劇中で20分くらい俳優がただタバコを吸っているっていう場面があるんですよ。でね、「いい加減にしろー!」とか怒って帰るお客さんもいるんだけど、逆にそれもちょっと段々面白くなってくるんですよ、「あ、また一人帰った」って(笑)

一同:(笑)

そういうチケット収入に縛られない実験性がベルリン演劇にはあります。そうした自由さの中で、堅苦しい意味ではない「批評家」がちゃんと育って、その人たちが新聞で前衛的な作品を評価することで「これは決して馬鹿なことやっているだけじゃない」というのが、皆に共有されている。だから実験的な芸術表現に対して寛容になのじゃないかと思うんですよね。

それとね、もう一個はね、ちょっと堅い言い方になるんですけど、ドイツでは「演劇は社会を描くものだ」という大前提があって、だからこそ行政も演劇を支えている。そのため社会派の作品がすごく多い。日本でも最近、登場し始めましたけれど、ドイツの劇場ってドラマトゥルクという役職の人がいて、作品の上演意義をメディアにアピールする役割の人がいるんですよ。そのドラマトゥルクの人としゃべったことがあって、「劇場の仕事は、権力の監視だ」ってハッキリ言っていて、日本とは違うというか、そういう使命感があるんですよ。

とても自由な創作活動をやっているけれども、社会の中で演劇がどう在るべきかという議論が常にある。必ずしも僕が彼らと同じ立場で活動しているわけではないですが、大きな刺激を貰っていると思っています。

あと、ポストドラマという新しい表現のスタイルがベルリンではもう20年くらい流行っています。戯曲に沿って対話が進んでゆくのが通常のドラマであるのに対して、そこを逸脱したスタイルをポストドラマって言います。

リミニ・プロトコルという人気劇団があって、その劇団ではいわゆる「俳優」が出て来ないんですよ。個人の経験を、本人が直接出て来てしゃべります。本人の語りを軸に演出が加わり、映像が入ったり、バンド演奏が入ったりします。僕が観たのは、韓国生まれで政治的な事情でドイツに亡命した女性が舞台に登場して、彼女がドイツの地で経験したことを語る作品。彼女がドイツの地で受けたアジア人差別についても語ります。僕たちの「演劇」のイメージとは大きくズレるかも知れませんが、劇場が社会について発信するための様々な実験をやっている人たちがたくさんいるんですよ。

でもね、すごく言い方が難しいんですけど、ベルリンでそうしたポストドラマ系の上演を観ると盛り上がるんだけど、来日公演を日本で観ると、客席が難解な前衛劇好きマニアの集まりみたいになってしまって、全然雰囲気が変わっちゃう(笑)。怖そうな評論家みたい人が議論しているだけで、まるで盛り上がらない。これにはガッカリしました。

(稽古中の様子)



―――研修科発表会を初めて演出して、どのようなことを感じますか?


 僕は専門学校で講師をしていますが、演技において重要な点は、どの現場でも同じです。相手の台詞をちゃんと受け取って、自分の台詞を相手に渡すというキャッチボールが重要です。それを意識して演出活動を行っているつもりです。

演出家は大抵、役者に「お前は他人のセリフを聞いてない」と定番のように言うんだけど、言われた人は、耳がおかしくない限り聞こえてはいるんですよ。ただ耳と内面が繋がらないんですよね。そういう課題と格闘するのは、どこの現場でも同じです。

ただモチベーションの高さは専門学校と研修科では全然違うと思います。研修科の場合、みんなモチベーションはとても高い。中には卒業後に文学座に入りたい人もいるだろうし、よそに行きたい人もいるのだろうけれど、全体としてはすごく真面目に稽古に取り組んでると感じますね。

でも真面目っていうのは功罪があって、いい加減にふざけるっていうのが結構重要なんですよ。ドイツに在外研修で行って、そのへんの視界が開けたことがあるつもりです。例えばインプロビゼーション(即興的な芝居)とかでめちゃめちゃにふざけてみるみたいな機会は、文学座ではあまり無い気がしますし。例えば発表会も、基本的に台本を上演していくかたちでやっていて、それはそれで演劇の伝統的なスタイルとして重要だとは思うんだけれど、決してこれが全てじゃないと……。外部では、インプロで台本を作る集団だってありますし、みんなはそういう現場に触れる機会は少ないのかなと思ったりしますね。

もちろん演劇を支えるルールはルールとして守らないといけないので、ふざけて自由にやるってなかなか難しいところだと思うんですけど、そういうのが実は重要かもしれないです。

ちょっとオマケですけど、ドイツではテアタートレッフェンという、とても大きな演劇祭があって、その中でインターナショナルフォーラムという2週間のワークショップがあります。僕も受講したのですが、最初シアターゲームをやる中で、かくれんぼをやりました。ミネラルウォーターのペットボトルを抱えて隠れて、講師が来たら頭に水をぶっかけたりしました……

一同:(笑)

文学座ではあり得ないと思うんですよ、多分、僕も怒ると思いますし(笑)。解放の度合いが文化によって違うのか、何によって違うのかは分かりません。しかしだからと言ってドイツ人がアホかというと、それも違うんですよ。彼らは彼らなりの、共有されたルールの中でやってるんだけど、そのルールのあり方が全然違っているんでしょうね。



―――発表会の台本選びで意識することは何でしょうか?


演劇って、まず演じる人が楽しめない限りどうにもならないので、出演者として集まる人たちが面白がってくれそうなものを探すのは、絶対条件だと思うんですよね。昔は「こういう深いテーマのものを打ち出せない演劇は演劇とは呼ばない」とか「どれだけ難解な作品でも闘って取り組むべきだ」という思想のようなものがあったようですが。しかし俳優って自分の表現に繋がってこないとイライラしてくると思うし、やる気がなくなっちゃうと思うんですよ。だから、なるべく皆が面白がれるものを選びます。まあ今の台本を、皆さんが面白がって稽古していることを願うばかりですが(笑)

また悪い意味で「テレビドラマみたいだよね」って言われちゃうような作品は、やっていて飽きちゃうだろうし、発見が無いと思うんですよね。やっぱり良い戯曲って取り組んでいて「ああかも」「こうかも」とか、「こういう風にもやれるかも」という発見があって、そういう奥行きがないものはやってもしょうがないなと思いますね。

あと演劇はやっぱり観て下さる方のものなので、作品選びにおいては多方面にアンテナ張っておくことが重要ではないですかね。

―――では最後に、中野さんが俳優に求めることを教えてください。


  前にも言ったように、演劇の本質はキャッチボールだと思います。僕が嫌いなのは、例えばセリフを順番で言っているだけみたいなものです。そういうのはどうやったって眠たくなるし…。「キャッチボール」って何なのかっていうと、相手に何かしらのエネルギーがボールとして相手に渡って、相手はそれを受けて次の発信をするという流れですよね。こういう演技の基本中の基本みたいなものが、やっぱり重要だと思うんですよね。だけどこの「キャッチボール」だけでは、たしかに地味に思われるかも知れません。真面目っていうのかな…。ケレン味も演劇の醍醐味だからね。

 つかさん(つかこうへい)の演出がそうだったらしいけど、俳優を1人ずつ自分のところに呼び出して、「お前、あいつより目立たなかったらクビだからな」って言うらしいんですよ……

一同:(笑)

要するにバトルをやらせていくわけです。そうすると俳優同士はギスギスするだろうけど、観てるお客は面白いみたいな(笑)



―――以上になります。ありがとうございました!


聞き手・文字起こし:研修科メディア係

写真撮影:村田詩織

記事編成:山下瑛司清水芽依

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