「君は喋らない方がいい」と言われて。幇間・桜川八好(すがぽん)さんインタビュー

突然ですが、幇間という職業をご存知ですか?

太鼓持ちとも言われる男性版の芸者で、女性の芸者とともにお座敷を盛り上げる仕事です。

江戸時代からの伝統を引き継ぐ幇間ですが、なんと今や全国に6人しかいないとか(※浅草見番に所属する正式な幇間)!


そんな貴重な存在である幇間ですが、文学座ではその中の一人・桜川八好(文学座では旧芸名「すがぽん」)さんにパントマイムの指導をしていただいています。

実は桜川八好さん、元々はプロのパントマイミストとして活動をしていたのです。


文学座附属演劇研究所研修科では年数回のパントマイム集中講義を担当していただいているほか、公演での身体表現をご指導いただくことも!

『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』でも身体表現指導として関わってくださっています。


今回はそんなすがぽんさんに、ベールに包まれた過去の経歴と今回公演のこと、また、沈黙の芸術・パントマイムの極意について伺いました。

なぜお笑い芸人志望がパントマイムを志したのか、舞台上での自然な存在とは、パントマイムが描く人間の本質とは。


研修科2年、石井・染谷の2名体制で臨んだインタビュー。盛りだくさんの内容になっています!ぜひ最後までお読みください!



1.お笑い芸人志望からパントマイミスト、幇間へ。知られざるすがぽんさんの経歴。


桜川八好公式ホームページより。いつもと違う表情にドキッとします。

染谷:文学座の集中講義ではパントマイムを教えてくださっているすがぽんさん。いつからパントマイムを始めたのでしょうか。


実は最初はね、パントマイムじゃなかったの。


そもそもはお笑いからだった。ドリフ、ひょうきん族で育って、ハガキ職人もやって、さまぁ〜ずの追っかけになってね。


それで高校の頃からさまぁずとおんなじところに行こうじゃないかってお笑い芸人を目指した。

でも学校のやつらはプロになるつもりはなくて、しょうがないからピンでホリプロとかオギプロとかそういうところ受けたよ。


でも最終選考まではいくけど、「君は喋らない方がいいよ」って言われて。


そこで浮かんだのがチャップリンだった。


じゃあパントマイムをやりましょうってなって、日本マイム研究所っていうところで4年くらい修行したね。



染谷:最初はお笑いから!!意外です。修行後は、パントマイミストとして活動されたんでしょうか。


いや、そこから今度は噺家になろうと思ったのよ。

マイムは一周したし、今度は春風亭昇太さんの師匠の春風亭柳昇師匠に弟子入りしようと演芸ホールに通いつめたんだ。


でも、実際楽屋まで行って声をかけようと思うと「これをやったら人生が変わる」って尻込みしちゃってね。

1ヶ月くらいウジウジしてたところでマイムの先輩に「またマイムをやらないか」って声をかけられた。



染谷:噺家!言葉を一度封印した後、また言葉に戻ったんですね。


そうだね。お笑いとか噺家をやりたいからって先輩の誘いを断ったりもしたんだけど、結局手伝うことになって。

それが「水と油」っていう4人グループだった。


楽しかったけど最初は日本じゃ全く鳴かず飛ばず。

それで、「本場でダメならもうダメだ、勝負をかけよう」ってフランスとエジンバラの演劇祭に出たんだ。



染谷:海外の演劇祭・・・。すごい勇気ですね・・・。結果はどうだったんですか?


それがなんと、受賞することができたんだよね。

そこから日本でも評価されるようになって、企業スポンサーがついたり資金も豊富になったの。

そこから結局10年くらい活動したかな。挫折もあったりして、2006年に活動休止した。

ソロ活動は2004年から始めてたけどね。



染谷:オーディションでの審査員の発言から始めてプロのパントマイミストに。なんだか不思議な巡り合わせを感じます。現在のお仕事は幇間ですが、いつから幇間になろうと思ったんでしょうか。


そうそう、結果的にこうなったって感じだね。

いい先輩に出会えたから今がある。


幇間になろうって決めたのは水と油で活動してるとき。

「ニュース23」っていう番組で悠玄亭玉介師匠っていう最後の幇間と言われた師匠の特集を見たんだよね。
それがかっこよくて、自分が60、70、80になったらこんな爺ちゃんになろうって最終目標を決めたんだ。


結局実際幇間になるために動いたのは2014年にソロ活動が10周年を迎えて一区切りついてからだったんだけどね。

でも、そのときには師匠はもう亡くなってて。


だからまだ幇間が残っていた浅草に訪ねて行ったり、演芸ホールに出ている師匠を出待ちしたりしてようやく弟子入りしたよ。

でもその師匠に結局弟子をとらないって言われちゃってね、それで今の師匠について今があるって感じかな。



染谷:予想以上に紆余曲折があって驚きました!


2.研修科生への期待。舞台上で存在するということの難しさ。


↑身体表現の指導中の様子。今回はたくさんのシーンを見ていただきました。


石井:今回の公演では身体表現についてアドバイスをいただいています。研修科生に期待することはなんでしょうか?


期待すること・・・パントマイムで求めることってテクニック上げろってことなんだよね。

でも今回みたいな作品の場合は、話自体が面白いからな。

それを壊さないようにどう演じるんだろう、っていうのは楽しみだけど、でもそこは演出の範疇だからなあ。


言えるとしたら、役者みんな生き生きと頑張れっていうことかな(笑)自分らしさを出しつつ。



石井:テクニックよりもその人らしさ。


うん。技術はなくても、その人らしさ、役者の魅力っていうのは出てくるよね。

苦手意識とかマイムのテクニックにとらわれちゃうとそういう良いところは隠れちゃうんだけど。



染谷:とはいえ、普段慣れていないとやっぱり体を動かすのは難しいです・・・。


うーん、矛盾するようだけど、それを越えるためにはやっぱり稽古量が必要になってくるんだよね。


練習してこなれてくると自分が乗れるっていうか。

例えばバイクに乗るとき、速く走るためにはその運転に慣れる必要があるじゃん。アクセルとブレーキで戸惑ってるうちは絶対速くは走れない。そういうこととおんなじで。



染谷:なるほど・・・。パントマイムをずっとやってきた人には技量的に及ばないとしても、稽古を積めば技術ではない役者自身の魅力が出てくる。


そう、結局人なんだよね。だからいかに生き生きするかっちゅうことが大事。

それがマイム、というかすがぽん流の極意だね。


心持ちというか魂というか、舞台上でいかに楽に立つか、そこで呼吸できるかっていうこと。

普段とは違う、舞台上での自然さ、ひとつ何かを身に纏ったような存在の仕方ができるといい。

でもこれが難しくて、舞台上だからって自分自身の自然を隠しすぎちゃったらそれもまた面白くない。



石井: 全部覆い隠してしまったら、誰がやっても同じになってしまいますもんね。


そうなんだよ、俺はみんなを見てるとき、立ってるところにその人の色が出てるか出てないか、それを見てる。

むしろそこしかわからないっちゃあわからない。


テクニックに関しては結局イメージをどこまで取れるかっていう話だけだから。

ある瞬間の肌感覚を細かくイメージすれば、自ずと速度から頭や手の角度まで変わってくる。

だから結局いかに深く感じられるか、それだけが大事だね。それは役者にも通じる部分だと思うよ。



3.「伝わる。人間なら。」沈黙の芸術・パントマイムの極意とは。


染谷:すがぽんさんのパントマイムを見るたびに、パントマイムって言葉がないのにそれが欠落にはならないんだな、と思います。むしろすごく雄弁に語りかけてくるのが面白い。演じ手として、言葉を使わないからこそ意識している部分とか、パントマイムにしかできないと思うことがあれば教えてください。


そうだね、パントマイムにしかできないことって言ったら大げさになるけど、伝わりやすくなる、観客と気持ちがリンクしやすくなるっていうのはあると思う。

魂の共鳴っていうか、魂っていうと宗教的な方の魂みたいだけど、気持ちのことね(笑)


そうなんだよ、言葉がないからって欠落してるわけじゃないんだよね。

むしろ言葉を使わないっていう制約は強みになってるんじゃないかな。

なんかほら、なんでもありよりも枠組みが決まってた方が自由なことってあったりするじゃん。



石井:枠組みがあるから自由になれる・・・なんだか不思議な言葉ですね。


ほら、例えば、プールで好きなだけ泳げって言われたら10km泳げないけど、とりあえず10km泳いでって言われたらやるじゃん。

そういうようなことと同じで「枠」って大事で、喋らない方が自由で、アイディアも出る、なんてこともある。

それから、喋んないからこその無限の広がりというか、ね。



石井:なるほど!確かにパントマイムを見ていると言葉がないからこそ面白いと感じる瞬間があります。演じ手として、言葉を喋ることと体で表現することは何が違うと思いますか?


セリフって伝達スピードが早いんだ、喋ったことがそのまま伝わるからね。

だけど言葉で伝わるのは言ってる内容だけなんだよ。わかる?


でも、本当はもっと広がりみたいなものがあって。

それは言葉を使わない身体表現でこそ伝わるものだと思う。

削ぎ落として削ぎ落として、その先に無限に伝わるものがあるというか。そういう「行間」って言われるものがマイムにはある。



染谷:削ぎ落とす美学・・・俳句や短歌に通じるものを感じます。

そう。俳句と同じだと思う。キャッチコピーなんかもそうだよね。「愛だろ、愛っ。」(編集部注:サントリーのザ・カクテルバーのキャッチコピー)それだけで全部伝わる、みたいなことがある。



染谷:先ほどマイムではテクニックを上げることも重要というお話がありました。無限に伝わるものを追求する一方で、表現しようとしている物自体、例えば「壁」が見えるように演じてはいるんですよね。


うん、でも本当に見せたいものって「それ自体」じゃなく、「その奥にあるもの」なんだよね。


例えば「壁」をやるとき、もちろん壁の存在も見せたいんだけど、本当に見せたいのはその壁に対してる人の心理、壁に対する人だったりする。

だから挫折してるときに「壁」の演目を見て、泣いてしまう人がいたりする。それだけ伝わるものは多いのよ。


そしてその伝わるものっていうのは一つの形に限定される必要はないと思っていて。



染谷:といいますと。

パントマイムの強みっていうのは、一つの言葉で終わらずに、無限の意味が伝わることだと思うんだよね。

そしてその伝わることっていうのは受取手の身体の状態とか心理の状態によって変わってくる。

「私はこう見えた」「僕はこう見えた」「演じてる俺はこうしてた」みんな違っても、それでいい。答えは一個じゃなくていい、押し付けない、そんな芸能なんじゃないかなと思いますけどね。

↑今回インタビュアーをした研修科2年の石井(右)&染谷(左)。


石井:パントマイムは言葉を介さないから世界中の人に面白さが伝わるというのがすごいと思います。僕は小林賢太郎が好きなんですが、あの人が世界で活躍できてるのもパントマイムがあるからだと思うんですよ、身体表現だけで笑いを生み出すというか。


染谷:海外演劇祭で評価された、ということでしたが、やはり国が違ってもパントマイムの表現はそのまま伝わるんですね。


伝わる、人間であれば。

マイムはシンプルじゃないと伝わらない。こねくり回せばこねくり回すほど余計な厚みが増えて、迷子になっちゃう。

シンプルにしていくことで本質に近づくんだ。人間の本質は変わらないから、突き詰めていけば国は関係ないね。



染谷:かっこいい・・・!一方で、劇の場合はやはりセリフがあります。台本という道筋があって、言葉をつないでいけば一応筋は出来上がっていくところもあると思います。言葉を頼りにしてしまうというか。


言葉は強いからね。だからこそ難しいところはあると思う。

でも、普通の劇でも舞台上の関係性なんかはマイムに通じるものもあるかもしれない。

例えばお母さんと子供の関係からくる立ち位置、とか。

役者とマイムって切っても切れない部分はあると思うよ。


石井:なるほど。演劇は体も言葉も、総動員して作るものですもんね。


染谷:運動神経がないので身体表現には苦手意識がありましたが、今回のインタビューを通して体だけで人間の本質に迫る面白さ、奥深さに気づくことができました。私も動けるようになりたい!!


※本記事はインタビューを元に再構成したものです。聞き手:石井大樹・染谷知里


本番はいよいよ今週。心と体をフルに使って挑む今回発表会『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』、日々の通し稽古にもますます熱が入っています。


なんと今回は、あと若干席のご用意がございます!


「もうチケットないんでしょ?」と思っていた方も、ぜひご予約ください。


8/3(金)~5(日)文学座アトリエにて、お待ちしております!


お電話はこちらから→03-3351-7265(11時~18時/日祝除く)

webはこちらから→https://www.quartet-online.net/ticket/kensyuka_lamancha


文:研修科2年 染谷知里 ・ 研修科2年 石井大樹 ・ 研修科1年 白神冴京

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