皆さんこんにちは。研修科2年の田村真央です。
突然ですが皆さんは、今回の研修科発表会『怒濤』の主人公である“北里柴三郎”という人物について、何を思い浮かべるでしょうか?
(新千円札の顔に選ばれた北里柴三郎。)
時期も時期ですから、ほとんどの人が
「新1000円札の顔になる人」
では、彼の功績についてはどうでしょうか?
野口英世=黄熱病
北里柴三郎=???
実は破傷風菌以外にも、彼は日本の医学界や細菌学界において大きな貢献をしているんです。
北里柴三郎の人生を大まかに区切ると
①出生からドイツ留学前
②ドイツ留学中
③日本に帰国してから
という風に分けることができます。今回の研修科発表会で上演される森本薫作『怒濤』は、”③日本に帰国してから”の部分を描いた作品になっています。
ですからこのコラムでは、劇中では描かれないそれ以前の北里柴三郎の半生を、簡単にですが3回に分けて少しずつお届けしたいと思います!
皆様のご観劇にお役立てできたら幸いです。
①北里柴三郎誕生〜立志の道〜
北里柴三郎は江戸時代末期の1853年、肥後国阿蘇郡小国に生まれました。
これは現在の熊本県にあたります。
ちなみに、“柴三郎”という名前なので三男なのかと思われがちですが、長男なんですよ。
生まれつき健康体で病気をほとんどしたことがなく、血気盛んな性格だった柴三郎は、
もともと政治家か軍人になりたいと思っていました。
しかし、両親の教育方針もあり、医学校に行くことになります。
柴三郎の母は厳しい人でした。
皆さんはこの厳しい教育をどうお思いになるでしょうか。私は20歳になった今でも月に1回は実家に帰りたいなあとぼやいてしまうので、ましてや小学生の時には到底できないなと思います。
しかし、この教育法は後のドイツ留学の時に役立つこととなります。
異国の地で6年間一度も日本に帰ることなく、研究に没頭し続けることのできた柴三郎の精神力は、まさにこの教育の賜物と言えるのではないのでしょうか。
柴三郎はその後熊本医学校に進学します。この時もまだ政治家と軍人の道を諦めておらず、医学の勉強に励むというよりは、後に役立つだろうとオランダ語の勉強に励んでいました。
そしてその圧倒的な語学力が功を奏し、
当時熊本医学校に教師として来日していたオランダ人医師マンスフェルトに一目置かれ、オランダ語の通訳をするまでにもなります。
マンスフェルト先生は、柴三郎が医師になりたいと思っていないことを見抜きつつもその才能に気付いていたので、顕微鏡を用いて動植物の細胞を見せ、
医学がいかに崇高で簡単に極められない学問であるかを説き続けました。
公開予定は6/2(日)です!お楽しみに。
文学座附属演劇研究所
2019年度研修科第1回発表会『怒濤』
は、
6/7(金)~6/9(日) 文学座アトリエ
にて上演されます。
キャンセル分のチケット再販が決定いたしました!
6/5(水)19:00より、Web予約でのみ受け付け開始いたします。
満席となり次第予約が締め切られますので、お早目のご予約をお勧めいたします。
0コメント