②北里柴三郎 東大生活、そして妻との出会い
さて、コラム前編の後、
熊本医学校を卒業した柴三郎は東大医学部を受験します。ところがここで困ったことが起きました。
東大医学部の受験資格の中に”20歳以下”という年齢制限があったのです!
マンスフェルトの手伝いをするために彼の任期満了まで熊本にいた柴三郎は、とうに23歳になっていたのでした。
仕方なく書類を4歳詐称し出願、無事合格。森鴎外の年齢詐称受験は比較的有名ですが、ここにも詐称した人がいたんですね。
(年齢詐称をしていた北里。)
当時の医学校は予科3年・本科5年の8年間が基本で、厳格を極める教育により脱落者が非常に多かったそうです。
柴三郎は東大在籍中も血気盛んで、”同盟社”という団体を作り、率先してストライキをしたり演説をしたりしていました。もちろん教授たちと折り合いも悪く、留年もしたそうです。
決して実家が裕福だった訳ではないので、
アルバイトをしながら必死に勉強し、ついに32歳の時に卒業しました。
さて、柴三郎は東大在学中に妻・乕と結婚しています。
(ちなみに乕さんは劇中では富子と名前を変えて登場します。)
乕は柴三郎より14歳年下で、結婚当初はまだ16歳でした。
柴三郎と生涯連れ添う乕は、柴三郎がどんなに仕事に没頭し家を空けても、家庭を守り4男3女を育てたのでした。
③ドイツ留学への光 〜内務省衛生局時代〜
晴れて東大を卒業した柴三郎は、内務省衛生局に入るために当時衛生局長を勤めていた長与専斎の元に行きました。
(長与専斎)
内務省衛生局とは、現在の厚生労働省の前身となる組織で、伝染病の対策を練り、予防方法の普及をするのが主な仕事でした。
長与専斎は初代衛生局長になった衛生行政界の第一人者です。
この後の柴三郎の夢のドイツ留学に一役買ってくれたのがまさしくこの長与専斎なのでした。
緒方正規というキーパーソンがドイツ留学から華々しく帰国します。
緒方正規は熊本医学校時代の柴三郎の同期で、柴三郎より3年早く東大医学部に入学しています。当時から優秀で、ドイツ留学の夢を先に叶え、生理学、衛生学の研究をしていました。
柴三郎は緒方の研究室に招かれ、緒方の指導のもと細菌学の実験に勤しみます。
つまり、同輩でありながら緒方は柴三郎の恩師に当たるわけですが、
のちに柴三郎は緒方の脚気に関する研究を間違いだと批判・対立し、これが東大との確執にもつながります。
異文化とともに伝染病が輸入されてきました。
事態を重く見た長与は、柴三郎を長崎に行かせコレラを調べさせます。
柴三郎は危険を顧みず長崎に赴き、コレラ患者の排泄物を細かく調べ、論文を書き上げました。
これが評価され、次のドイツ留学の候補者に北里柴三郎の名が上がります。
最終回となる次回は、柴三郎が異国の地・ドイツでどんな偉業を成し遂げたのか詳しくお話ししたいと思います。
公開予定は6/5(水)です!お楽しみに。
文学座附属演劇研究所
2019年度研修科第1回発表会『怒濤』
は、
6/7(金)~6/9(日) 文学座アトリエ
にて上演されます。
キャンセル分のチケット再販が決定いたしました!
6/5(水)19:00より、Web予約でのみ受け付け開始いたします。
満席となり次第予約が締め切られますので、お早目のご予約をお勧めいたします。
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