-他人とか、知らない世界にもっと興味を持ってほしいー 演出家・鵜澤秀行インタビュー

こんにちは!!

研修科2年生の柏亜由実です。

今回は、今年度最初の発表会『家を出た』の演出をしてくださる、鵜澤秀行さんのインタビューをお届けします!

俳優であり、毎年研究生発表会の演出も担当してくださる鵜澤さん。これからの若者の俳優に求めることから、ご自身の研修科時代の貴重なお話まで、盛りだくさん!!


体調管理、消毒、換気を徹底し、稽古を行っています!

どんな作品になるか、いまからドキドキです……!


それでは、はじまります!






①戯曲を通して表現したいこと




―――――最初の質問ですが、今回やる戯曲『家を出た』に決めた理由はな

んでしょうか。


鵜澤

君らにとって、この世界の感性ってよく分かるんじゃないかと思う、僕なんかより。

どういうことかっていうと、不自由じゃない?今色んなことが。コロナが無くても。

古いものって排斥されて、どんどん取り払われていくように見えるけども、裏側のところでは、また新しい規制があったりするじゃない。

今はどんどん通信なんかが発達してるから、情報って自由に世界を行き交ってるように見えるけど、裏側にそれの危険みたいのがあって。

決して自由を謳歌するっていう状況にないじゃん。君ら感じてると思うんだけど。

僕なんかの古い世代だと、”上意下達“みたいのがあって、下の人は上の人の意見を尊重しなくちゃいけないとか、一見今よりもきつそうなんだけど、実はその中ではある自由さを保証してくれたり、口の利き方がどうのこうのとかって束縛してこない。

昔のほうが束縛されてきつかったような感じがするけど、実はそうでもなくて。

今は世の中どんどんどんどん複雑になってきて、自由さ不自由さっていうところの基準が変わってきてるんじゃないかと思うのね。

一見、取っ払われているような感じはするけど、実はその不自由さっていうのはいつまでも残る。残ってるっていうか、今の方がきついなとかって思うんですよ。実は、色んなところに、自由を縛ってくるものが入り込んでるんじゃないかと思うんですよね。

そういう世界に生きている君たちと、もう一度生きていた時代を振り返って、自分で消えるってことを舞台でやる。“消える”っていうのは、必然であってさ、決まってるもんじゃない。『家を出た』の世界ってさ。

そういうのと、演じる人と本とを照らし合わせたときに、どうなるのかなって。

面白いものが出来るんじゃないかなと思ったっていうのが一つ。

あと、この本の魅力なんてことで言うと……

あのね、ぼくはとても、詩の世界に近いような感覚をこの鈴江さんの戯曲の文体から感じるんで。

一見何でもないような日常会話という感じを受けるけど、割と詩的っていうかなあ。それが魅力だと思うよね。




―――――鵜澤さんが今コロナ禍で演劇をやることの意義はなんですか?


鵜澤

意義…そんなオーバーなもんじゃないけど。始めちゃったからやってるんだよ。


一同

(笑)


鵜澤

ぼくは、22歳の時に研究所受けて、劇団研究生になったのが23で、そのまま来ちゃったから。そんで、辞めようとも思わなかったし。


――――― 一度もですか?


鵜澤

うん、それは……ねえ。自分で、だよ?

いろんな事情で、経済的なこととか、家庭の事情とかで、「じゃ正業に就こうかな」と思ったことはあるけど(笑)

「演劇の世界っていやだ」と思ったことはない。だから続けてこられた。

で、もう先行きもたいして長くないから、芝居やりながら死ぬんだろうなって。この劇団で。

ここ(文学座)は居心地よかったし。怒られたりなんかはねえ、したけど(笑)

「お前はクビだ」って言われたこともあるし。


一同 

えーーー!(驚)


鵜澤

なんかいろいろあるけど、それなりに大過なく過ごしてこられちゃったっていう。

そんなようなことしか答えようがないな。




―――――――――――――――




②若い俳優に求めること




―――――今の若い人たちに演劇をもっと身近に観てもらうためには何が必要だと思いますか?


鵜澤

若い俳優にもっと魅力的な奴が増えてくることだと思います。

だからやっぱり……同世代っていうのはあるじゃない、ねぇ。年配の人の芝居なんか観に行っても若い人つまんないだろう?

で、文学座の公演なんかの客席見ると年配の人ばっかりだよね。


一同

(笑)


鵜澤

違う理由もあるのかもしれないけど、それなりに同世代の芝居観に来てるんじゃないかと思うよ。それとか若い人のね。

だけど若い観客に観たいと思ってもらうには、若い、いい役者が出てこないとって思う。

だから一生懸命、ねぇ、嫌われながらもさ、口酸っぱくして、なんとか君ら一人一人の魅力が出てくるようにって。綺麗事に聞こえるかもしれないけど、ほんとにそう思って稽古をしてるんだけど、君らと。だってそのためには、やっぱり、平たく言えば“上手い役者”が出てこないとなぁ、ふっふっふ(笑)


一同

(笑)


鵜澤

美貌と体躯に恵まれててもさ、上手くないと。

そういう才能…才能ってなんだかよくわからないけど、上手い役者がたくさん出て絡んでいけばさ、もっと芝居って面白くなるだろうし、若いお客も来るんじゃない?そんなとこかな。




―――――今いる、研修科にいる若い俳優達に対して、鵜澤さんが特に求めていることはなんですか。



鵜澤

うーん、他人と関わりをもつことだね。隣にいる奴と。

せっかく研修科とか、1年生とか2年生とか、一つの集団を持つわけじゃない。

集団の中で1年、2年。短い期間かもしれないけど仲間がいる。

仲間同士の繋がりで芝居って作るものじゃない?

だからその、隣にいる同級生とか、1年先輩、1年後輩っていうのを、“もっと知る”っていう、興味を持ってほしい。

そういう意味も『家を出た』にこめてやってるつもりなんだけどね。

役として向こうっ側が見えるっていうか、君らがどういう環境で、どういう育ち方して、どういう性格で……理屈っぽいやつとか、理屈だけで体動かないなっていうやつとか、しゃべれねぇじゃんかこいつ!ってのもあるけど、それもそれである個性として捉えて。

批判するところは批判して、受け入れるところは受け入れて、そうやっていくんじゃないかなと思います。


―――――鵜澤さんは、研修科時代積極的に他人ともコミュニケーションを取りに行ってきたタイプでしたか?


鵜澤

うん。僕は、付き合いの良いほうだったんじゃないかなって自分では思う。喧嘩もしたしね、殴り合いの。


一同

(笑)


鵜澤

だけれども、喧嘩することだって付き合いだからな。

だから今の君らの世代見てると、ある所からプツッと心閉ざすっていうか。

例えばどういう時にって具体的にはなかなか言えないけど、自分の周りにバリア張るっていうか、「だったらいいわ」ってこう遠ざかってくとかさ。

人間と付き合うのも粘り強さがいるんで。

それこそ“役と自分の繋がり”を求めるのと同じように、生きてる人間同士も繋がりって大事だと思いますよ。

それがあるから芝居って世の中から認められてるし。

例えば、去年の本科生にお医者さんやってる人がいたんだけど、芝居にはどういうふうな“繋がり”があるのか、もしかしたらそのなにかが精神科の医者として立っていくために役立つんじゃないかって言って研究所来たんだからね。

そんで、俺は直接聞いてないけど、卒業するときに「医者としても勉強になりました」って言ってくれたって聞いてさ。まぁ、結構なことだなと思うんですよ。

「患者とどう向き合うかっていうのが、いくらか変わってくると思います」って。

だから求めるのは“他人とか、知らない世界にもっと興味持つ”ってことかな。

閉じちゃったらなんも面白く無いじゃんよ。

だから閉じずにもっとフランクに付き合えばいいのになって思う。嫌いなところは嫌いなところで良いんだけど、「交流しない」とか、「どうも馴染まないから」とかはさ。

馴染まないなら馴染まないなりに、馴染む努力はお互い個人個人したほうがいいんじゃない?って思います。




―――――研修科生とやっていて、楽しい又はこういうの面白いなと感じることは何かありますか?


鵜澤

あーやっぱり日々成長してくことかな。それもくるっと変わるやつがいたり。

良くも悪くもよ。


一同

(笑)


鵜澤

うん。だからそれが楽しいっちゃ、楽しい。目先変えてくれるっていうか。

家で考えてきた事なのか、思いつきなのかわからないけどさ、くるって変わる瞬間ってわりと年寄りよりもあるじゃん。

40.50代になってから、「昨日こういう芝居したのに、今日こんなに変わる人」ってあんまりいないじゃん!







③研修科時代の思い出




―――――鵜澤さんが研修科時代でこれは忘れられないな、印象に残ってるな、というエピソードはありますか?


鵜澤

ああ、無数にあるけど、僕らの時は研修科ってなかったからね、

本科卒業すると、劇団研究生って言って、C・B・A・A-・A2-って5段階に分かれてて。

その代わり、準座員はなかった。そういう制度の中にいたからね、何が今の研修科に当たるんだろうなって分からないけど。

うーん、まあ、楽しかったって言うかなぁ。漠然と言えば、やっぱり未来が洋々と拓けている、って言う勝手な想いでいたからね。

……拓けてなんかいねえんだよな、だけど。


一同

(笑)


鵜澤

50何年経って振り返るとさ。エピソードって、別にないね。

そう言われると。恥ずかしい思い出ばっかりで。


―――――どんな恥ずかしい思い出が?


鵜澤

えー、酔っ払って怪我したりさ。


一同

(笑)


鵜澤

寝坊して本番間に合わなかったりさ。


一同 

えー!(驚)


鵜澤

恥ずかしいことばっかりだよ。いい思い出なんてほとんどないなぁ。


―――――そのA2-とか言うのは、適当に割り振られてるんですか?それともピラミッド型でしょうか?


鵜澤

いや、C、B、A、とね、上がっていく訳ですよ、Cクラス研究生、一年毎に、Bクラス、Aクラスって上がってく。

でね、Aになるじゃない?Aから座員になる人もいるわけ。

CBAで、 A-って言うのは、「あなたは、うちの劇団には要りません」とも言えない。

まあ、今の現状で言うんだったら、「いてもいい」って言う。A2-もおんなじよ。

だってねえ、俺なんか入った頃、「雲」って言う劇団と「NLT」って言う劇団の人たちが退団して行っちゃった後で。演技部の座員って三十何人しかいなかったんだから。

今、100何人でしょ?30何人しかいなくて、その下に劇団研究生が50人以上いたかな。

不自由そうに見えるじゃん?決して不自由ではなくて、一緒に酒呑んだり遊んだり、野球やったりしてたよ。




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④言葉と音を大切に




―――――鵜澤さんが演出する上で、ここは拘る、譲れないところ、主義などがあれば教えてください。


鵜澤

主義なんてものは別にないけどね。ただ、面白い芝居になればいいと思ってる、いつも。

その本の魅力を最大限に引き出した上演結果になればいいと思ってる。 なかなかそうはいかないけどね。

あと、やっぱり僕らが作ってる芝居って“言葉”だから、言葉に対する敏感さっていうかな、単純なことだけど、細かいところにこだわりつつ、言葉の積み重ねとか、言葉のやり取りをどう作るかなっていうのが、今一番興味があります、演出では。

役者で出てるときはわからないんだけど(笑)


一同

(笑)


―――――今仰ったように、鵜澤さんは言葉をすごく大切にされてらっしゃるじゃないですか。その「言葉を大切にする」っていうのは、ご自身で本科の時からずっと考えていらしたんですか?


鵜澤

いや、そりゃ先輩俳優とか演出家から、その姿勢は教わった。

君らはもう、20年前に死んじゃった人だから知らないかもしれないけど、龍岡晋(たつおかしん※①)っていう、俳優で、有名な俳句も書いて、演出もする人なんだけど、その人なんかからだね僕は。

今の文学座のビルができる前にここにあった掘っ建て小屋で発表する芝居をやったんだけど。

『月夜』っていう芝居で、僕の相手役が一年上の先輩だった冷泉公裕(れいぜいきみひろ※②)ってやつで、僕は小学校の小使いさんの役、その冷泉ってのが先生の役。

先生が小使い部屋を放課後、夕方、晩飯時に訪ねて来て。

小使いさんの僕が飯を食ってて、冷泉がガラッと入って来て「おう、今飯か」で僕が「ええ」って言うやつでさ。

そしたら龍岡さんが「違います。」って。

違うっていうから、

「今飯か。」「ええ!」「違います。」

「今飯か。」「ええ…」「違います。」

「今飯か。」「ええ!!!」「違います。」

「今飯か。」「ええ?」「違います。」…………

そういう稽古をずっとさせられてきて。

何本か芝居やっているうちに、自分は出てない芝居で転換とか裏方やりながら見てたんだけど、ある時「ああ、なるほど。この戯曲ってこうなってんだ」と思った。

まるで音楽みたいに。龍岡晋という人が頭の中でイメージしている音を一生懸命に繋いでいくわけじゃない。そうすると、一つの世界ができる。

昔の久保田万太郎の本だから、例えばおじいさんと隠し子だった人が釣り堀で話し合うなんていうのは、なんとも詩的に芝居の世界ができているのを観て、「ああ、なるほどな」って。

「こういう風に組み立てられると芝居って面白いよな」と思った。

だから、気持ちがこうだから何とかって龍岡晋という人は言わない。音。音だけ。

「違います」「“ええ”じゃありません“ええ”です」――同じ音を出しているつもりなんだけど――「違います」と言われる。

だからそうやって出来た芝居って、それも一つの組み立てていく方法なんだなっていうのを教わったっていうかね。

他にもたくさんありますよ。それこそ、江守徹さんなんかね。

「日本語はな、膠着語っていうんだよ」――授業の時に喋ったことがあると思うんだけど――「膠着語といって、英語とか何かと文法上違うから、だから語尾をしっかり言わないと意味が分からなくなってくるんだよ」って言われたりね。色んなことを。ここ(文学座)で教わることって多かった。先輩とかからね。

だから、それもさっき言ったみたいに上手く付き合っていかないと。

上手くっていうとなんか「狡く付き合え」って聞こえるけど、そういうんじゃないんだよ。上手い人間関係を持ってかないと、なかなか人ってさ、胸襟を開いてくれないから。

それがなんか今の君達世代の人って、閉じちゃったりして、自分の考え方を頑固に守っているのかな。なんだかよく分からないけど。まあ、中にはね、人懐っこくて何でも気安く答えられる人もいるけど。

役者は多少考え方違うなと思ってもやってみて、で、実現すれば良いんだと思うのね。

自分なりの思索に耽るのも結構だけど、ここは「やる場」だからさ。稽古場だから。出てきたもので、塩梅していくしかないじゃない。

だからそういうような思い切りっていうか割り切りっていうかな、それが足らんなあと不安に思うことはあります。

いくら勉強したってさ、出てこないと。僕ら表現者だからね。頭の中は空っぽでも出てくればいいんで、と思いますね。




ありがとうございました!




※①龍岡 晋(たつおか しん)―――元文学座の俳優、俳人、演出家。文学座の創設に参加し、戦後は同座の社長となり、劇団の経営も行った。

※②冷泉公裕(れいぜい きみひろ)―――元文学座の俳優、演出家。舞台活動と並行してテレビドラマや映画にも幅広く出演し、個性派の脇役として活躍。




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インタビュー:久保田賢伸山田奈津子柏亜由実秋山将輝山岡隆之介渡辺拓弥池田千歌今野美彩貴中川涼香村田詩織稲岡良純

写真:久保田賢伸

記事編成:柏亜由実


■研修科発表会■

『家を出た』

作:鈴江俊郎 演出:鵜澤秀行

日程:2021年5月6日(木)~9日(日) 予定

場所:文学座アトリエ



◆研修科発表会『家を出た』一般公開中止について◆

緊急事態宣言の発出を受けて、研修科発表会『家を出た』(5月6日~9日)の一般公開は取り止めることにいたしました。

何卒ご理解いただきますよう宜しくお願い致します。

文学座HPより


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