今回は卒業発表会を間近に控えた研修科2年生(59期)のインタビュー第1弾です。
「イリーナ(A)役、袴田愛美」「トゥーゼンバッハ(A)役、濵田聖」「トゥーゼンバッハ(B)役、渡辺拓弥」「演出部、飯嶋佳保」にお話を伺いました。
① 『三人姉妹』について
―卒業公演『三人姉妹』、チェーホフ作品、またご自身の役の印象について教えて下さい。
濵田
『三人姉妹』に決まって、卒業のタイミングで所謂「静劇」というものをやらせてもらえるのはすごく嬉しいことだし、でもやっぱり難しいなという印象があって。チェーホフの『三人姉妹』は基本的に外でドラマが起きて、中ではそんなに事件が起きないじゃない?大げさに言うと、舞台袖の外が本番という感じ。だから舞台上で平々凡々な会話をしていても、みんな外で起きた出来事のエネルギーを持って会話しているわけだし、そういったものを出すのが難しいところ。退屈なセリフだけど内実そんなことはなかったりするとかっていう表現が、難しいところかなと思います。
―やはりトゥーゼンバッハに起きた出来事は一番の「外の事件」ですか?
濵田
射殺とかも外で起きちゃってるからね。でも結構、日常なんかもそうじゃない?今日このインタビューも、朝起きて雨がめっちゃ降っていたからすごく嫌だったのよ。せっかく髪もセットしたのに雨に濡れるし、服も気合い入れてきたのに濡れちゃうし!すごく不機嫌だし腹も立つわけよ。こうやってインタビューで顔を合わせたり稽古場で顔を合わせてるけど、みんな朝のうちに何か起きていたりするかもしれない。例えば小銭失くしたとか、怪我したとか。でもその中で会話していくところに、「あ、今日この人不機嫌だな」とか感じると、(『三人姉妹』は)とても日常の会話に近いものがあるのかなと感じる。
―渡辺さんは同じ役(トゥーゼンバッハ)を演じる上で同じ印象を持っていましたか?
渡辺
全く同じだね。
一同
(笑)
渡辺
難しいなという第一印象がまずあって。でも卒業公演という形でこういう難しい作品をやらせていただけて、しかも演出が高橋さんっていう、ご自身の持つ具体的な演出のイメージを言語化するのが上手な方と一緒にやらせていただけるのは、すごく良い区切りになるなと思います。
濵田
昼間部は(本科時代に)高橋さんと一緒にやってないからね、授業だけで。卒業公演は鵜澤さんだったし。
―そんな高橋さんの隣にいつも座っていらっしゃる飯嶋さんはいかがですか?
飯嶋
私はこの作品に縁があって、大学3年生のときに役者・演出・脚本について学んでいるそれぞれの学生が集って、学生の力だけでお芝居を作ろうという授業があって。『三人姉妹』を原案にした私の企画が通って、劇作コースの同期5、6人で書いて上演したんです。あと58期生の卒業公演『萩家の三姉妹』も、『三人姉妹』が背景にある作品だったので、この作品とは節目でなにかと縁があるなと感じていて、卒業公演に決まったときは嬉しかったです。
―授業で扱った際は結構脚色をしたんですか?
飯嶋
そうですね。舞台を日本に置き換えたりしたんだけど、当時は翻案作品にはできなかったです。企画当初のものとは、まったく違うものができました。
―なるほど、ありがとうございます。イリーナ役の袴田さんはいかがですか?
袴田
チェーホフ作品は公演でやってみたいなと思っていたので、私も決まったときは嬉しかったです。でもやっぱり最初に読んだときは、みんなと一緒で難しいなと思いました。私たちは何度も台本を読んで色々勉強をして作っていくけど、それを1回だけしか観ることのできないお客様もいるので、その1回でどうすれば世界観を伝えることが出来るかなというのを考えながらやっていかなきゃいけないなと感じていて。イリーナは素直で可愛いなという印象なので、そうした彼女の良さを表現していけたらなと思っています。読んでいても、すごく他人から好かれる子だなと思うので、頑張って好かれるように…
濵田
観客の耳に入ってくる最初の情報が「(父親の)命日と(自分の)誕生日が同じ子」だからね。
袴田
そう(笑)あとは、とりあえず姿勢をよくしようと。
濵田
それは俺らもしなきゃいけない。
渡辺
そうですね。トゥーゼンバッハは男爵だから。
―悪いのは「顔だけ」ですもんね。
濵田・渡辺
おい!
―ト書きにそう書いてあるので!
渡辺
それが一番難しいのよ。
濵田
顔は稽古したってどうにもならないから!
一同
(笑)
② 演劇との出会い、文学座との出会い
―次はそれぞれが演劇を志されたきっかけをお伺いしたいです。袴田さんからお願いします。
袴田
自分は、4歳ぐらいの時に女優になりたいなって(笑)
一同
え~(驚き)
濵田
きっかけは?本当に何もないの?
袴田
ないですね。親が元々歌とか、バンド活動とかしていて。姉がいるんですけど、姉が小学校上がる頃に地元のタレント養成スクールに母と姉が通うようになっていて。
―お母さんも?
袴田
はい、歌で。そこでお芝居とかも始めたんです。なのでたぶん姉がタレント養成スクールに入ったのがきっかけ。
―なるほど。それに付いて行ったってことですか?それとも見ていた?
袴田
覚えてない(笑)自分は小学校1年生に上がった時に入りました。妹も小1に入ってから入りました。
濵田
登竜門なんだ、小1からの。
一同
(笑)
袴田
それは、親が決めたんだと思います。
濵田
へぇ~、親が好きだったんだね。
袴田
通わせるなら小1から。
濵田
アイドルやってたもんね。
袴田
やめてください!そういうの。
一同
(笑)
袴田
小学校1年生でタレント養成スクールに入ったときは、お芝居じゃなくて、モデル活動?から始めて、お芝居は小学校3年生から始めたんですけど。そこで、ダンスとか歌とかもやって、そういったアイドル活動もしていたっていう。でも結局お芝居が一番やりたいなって思って。お芝居やるなら東京には来たかったんですよ。それで、高校生の時に進路どうしたらいいかって(タレント養成スクールの)お芝居コースの講師の方に相談したときに、紹介してもらったのが、文学座。紹介してもらうまでは文学座のことは知らなかったですね。
(袴田愛美)
渡辺
なんて言えばいいんだろう。両親ともに芝居とかそういう仕事してて、兄も始めて。俺も小さい頃から大人になったらやるものだと思っていたというか。実際にやりたいなと思い始めたのは、高校、大学あたりに父親の芝居を観に行ったとき。あと、留学してたんだけど、そのときにブロードウェイで『レ・ミゼラブル』ってミュージカルを凄いいい席で観させてもらって。そこに出てる役者さんたちがもう本当に間近で演じていて。また観たいって思うよりも、やりたいっていう風に具体的に気持ちが湧いて、その時は大学行ってたので、卒業してからしっかり芝居の勉強がしたいなと思って。大学在学中に松本祐子さんがやっていたワークショップに参加させてもらって、自分にとって初めての芝居体験だったんだけど、すごく楽しくて。じゃあもっと長いことここで勉強したい、こういう環境でやりたいって思って、本科を受けさせてもらいました。
濵田
最初に拓弥と居酒屋に飲みに行ったときに「なんで志したの?」って聞いたら、「ああ、まあ。文学座の芝居見に行く機会が多かったからかな。親が結構そういうの好きで」みたいなことを言って。
一同
(笑)
濵田
渡辺徹さんの息子って知らなくて。後になって、いや親が観に行ってたじゃなくて、親がやってたんじゃんって、びっくりしたもん。
渡辺
そう、親が文学座の公演で、西川信廣さん演出で、斎藤志郎さんとか一緒に出てた舞台があったんだけど(2018年文学座公演『真実』)、正直文学座の芝居って難しいイメージがあったんだけど、その舞台がとにかく笑いの多い舞台だったの。それで、「こんなことできるようになりたいな。こんな面白いんだな」って思って。
―なるほど、幅の広さってことですね。
渡辺
そうですね。その公演は特に色々と見た中でも印象に残っていて、ここに今自分が入っているきっかけにもなっている、ような気がする。
(渡辺拓弥)
―濵田さんはどうですか?
濵田
僕はね、従妹とか兄弟とかとごっこ遊びをとにかく小さい頃好きでやってて、縁側の襖とかあるじゃない?そういう襖を幕と見立てて、電気で暗転とか明転したり。何も知らないんだけど、そうやって遊ぶのがすごい好きだったの。でも、やっぱり大人になるにつれてやらなくなっていく。で、やりたいのは俺だけ。そこからずっと封印してた時期があって、やりたいけどやれないし、誰も遊びに乗ってくれないしっていう。でも、高校の最後の方にやった市民ミュージカルでありがたいことに主役を頂いて、初めてちゃんとした舞台に立ったときに、「ああ、やっぱりこれが楽しい」って思って。それで、東京の大学に出ることを勧められて、東京に来て、演劇やったっていう感じですね。途中、僕はもう大学で演劇はいいかなって思ってたんですけど、大学2年生のときに文学座出身の教授と関わるようになってからすごく楽しくて、その方の演出の下でずっと舞台出てて、僕が最後どうしようかなって、新国立劇場と迷ってるときに、文学座の本科に行っていた大学の先輩に「文学座いいよ。たくさん舞台出れるし、来いよ」って言われて、それで受けたっていう感じですかね。試験めっちゃよかったよね、試験の雰囲気とか、アトリエの感じとか。あれが決め手だったかな。
―ちょっとオレンジの照明で、あとそれ以外全部暗くて。
濵田
惚れちゃったね(笑)
(濵田聖)
―飯嶋さんは、いつ頃から、どのように志したのですか?
飯嶋
小学校低学年の時に、友達に誘われてお仕舞を習い始めました。発表会で初めて能舞台に立った時に、舞台の持つ空気感に何かを感じたのがきっかけかもしれないです。それから色々な舞台を観るようになって、出ている人たちの向こう側というか、作ってる側に行くためにはどうすればいいんだろう、っていうことを中学の頃から考え始めました。客席で「舞台を作る側に行きたい」という気持ちを少しずつ蓄積させていって、気がついたら志していた、という感じです。
―ありがとうございます。文学座には、どういったきっかけで?
飯嶋
日本大学芸術学部演劇学科を受けるときに、劇作コースか演出コースかすごく迷ってて、両方やりたかったんです。当時は何も知らなかったので、書けたら演出も出来るんじゃないかと思って、劇作コースを選びました。結果4年間通って、戯曲を書く力はほんのちょっとついたかもしれないけど、演出については依然としてわからないことだらけでした。演出って何なのかをわかるところに行きたいと思っていました。私がいた劇作コースは、卒論ではなく卒業戯曲とその戯曲の副論文を提出して卒業するコースで、その担当をしてくださっていたのがティーファクトリーの川村毅さんでした。川村先生にご相談したところ「文学座とかいいんじゃない?」と、ご助言をいただいたのがきっかけです。そこから研究所について調べて、俳優志望だけでなく、演出志望も募集していることを知って、受けてみようと思いました。
(飯嶋佳保)
③ 研究所での思い出
―次に、皆さん本科の時は昼間部だったということで、本科と研修科の3年間で1番思い出深かったことはありますか。
渡辺
個人的なことになっちゃうけど、本科の『女の一生』(研究所本科第2回発表会)で、4幕栄二をやらせてもらって、プレッシャーを感じた舞台だったんですけど、そのときに、相手役の同期と別の場で出てない同期がずっとついてくれて。あと袴田も一緒だったんだけど。
―知栄ちゃんですよね。
渡辺
そう、知栄ちゃんで。本当に夜遅くまで山本ビルに残って、ずっと稽古をして…。色々なことをやりまくってパンクして、そのままやったらそれがすごくよかったみたいで。袴田が「今のめちゃめちゃ良かったです」って言ってくれたのね。
(2019年度本科第2回発表会『女の一生』)
濵田
言ったっけみたいな顔したよ(笑)
一同
(笑)
濵田
だけど実際あの『女の一生』ですごく喋りが上手くなったなって思ったよ。みんな言ってた。
渡辺
周りもその次の日に稽古やったときにすごくよくなったって言ってくれたの。発表会が終わってからも。1番反響があった芝居だった。そのときの感覚がいまだに残ってて、「1番成長できたのかな、自分」っていう舞台になったからやっぱり自分の中でそれが1番印象に残ってるかな。
袴田
本番噛んでたけど(笑)
渡辺
本番噛みまくりました(笑) 稽古が1番よかった(笑)
一同
(笑)
濵田
あるあるだね。本科に関しては、全員と飲みに行こうとしてた記憶しかない。
―仲良くなれるから?
濵田
そうそう、コンプリートしようとしてた(笑) でも『わが町』(研究所本科第一回発表会)は思い出深いよね。坂口芳貞さんの下でやれたのもあるし、みんなが初めて舞台に立つ姿をお互いに見るわけじゃない?サイドに座ってさ。授業とはまた違う舞台で照明浴びて、「気合い入ってる中だとこいつこんな芝居するんだ」っていうのが最初に見れたから、あれは結構でかいよね。びっくりした。「自分たちの同期ってこんなに誇らしいんだ、こいつらと一緒にやれてよかった」って思った。なんかいいこと言ったね(笑)
一同
(笑)
濵田
研修科での思い出は、個人的に、『Scenes from the Big Picture』(2021年第2回研修科発表会)のロビーのスーツがめっちゃ金かかった(笑)
―あれは自前だったんですか?
濵田
自前でした。7万円のスーツがセールになってて、2万円で買ったんです。だから7万円のスーツ着たまま床に寝転がってました。この人(渡辺)に寝転がされました。
(2021年第2回研修科発表会『Scenes from the Big Picture』)
飯嶋
似合ってたよね。
濵田
ありがとう(笑)
袴田
自分は本科はあまりないかも(笑)なんか入所試験の方が覚えてる。私、柏亜由実さん(研修科2年)とペアだったんですよ、二次試験。ピアノの音に合わせて身体動かすじゃないですか。最初1人でやるけど、あとから2人でやるっていう。
濵田
あったあった。
袴田
だんだん自分の順番が近くなると、試験をする部屋の端にある椅子に座って、そこで初めて少し前の人たちがやってるのを見られるじゃないですか。あ、こういう感じか、みたいな。私、前が拓弥さんだったんですよ。
―よく覚えてますね。
飯嶋
ね、すごいね。
袴田
なんかすごく覚えてます。拓弥さん、私、亜由実さんって。
渡辺
連チャンだったよね。
袴田
そう。拓弥さんが終わって、次は私だってなったときに休憩が入っちゃって。だいたいそこで、みんなストレッチしたり、声出ししたりしてて。ペア組む人ってだいたい前の人達の流れでわかるじゃないですか。だから見てた人は、「この音合わせるとき、2人で何やる?」って相談し始める人たちもいたんですよ。亜由実さんも、実際私に話しかけてくれたんですけど、私は、なんか尖ってたのかわからないんですけど、「前の人達は即興でやってるから、相談するのはちょっとよくないかなって思いました」って言ったら、亜由実さんも「あ、わかりました」みたいな感じで。で、いざやったら、私が何もできなくて、結果亜由実さんに引っ張ってもらったっていう。
濵田
試験のあとさ、坂口(坂口芳貞)さんに「何点でしたか」って聞かれた?みんな?
渡辺
自己採点みたいな?「どうだった?」みたいなのは聞かれたかも。
袴田
「ペアの人どうでした?」とか。
濵田
あれ?「何点でしたか」って聞かれなかった?(インタビュアーの1年稲岡に)
―僕らのときは、点数は聞かれなかったです。
濵田
俺両方聞かれて、「今日の試験は何点でしたか」って聞かれて「80点です」って言ったら、「高いねー」って。
一同
(笑)
袴田
相手の人って一次試験のとき後ろの席にいるじゃないですか、番号後ろだから。紙を後ろに配るときに亜由実さんの顔を初めて見て、「うわ、めっちゃかわいい人いる」と思って、その印象が強すぎたから、ペアの人どうですかって聞かれたときに、「めっちゃかわいくて」って。
一同
(笑)
袴田
そしたら坂口さんに、「そういうこと聞いてるんじゃない」って(笑) それで、「こういうことがあって、だけど結果私が支えてもらっちゃう感じになっちゃいました」っていうふうに言って、面接終わった後、アトリエの外で亜由実さんの面接が終わるのを待って。亜由実さんと一緒に信濃町まで「さっきはほんとにでかい口叩いたくせに引っ張ってもらってすいません」って。そしたら、帰り際に、「また4月に2人で会えるといいですね」って。それ言われた瞬間に、「あっ、私だけが落ちるやつだな」って。
濵田
フラグ的な(笑)俺、(高橋)大誠と連番だったよ。俺の後だったんだよね。サロンで大誠が座ってて、いつもの感じで「さっきの、面白かった」みたいな(笑)
袴田
二次試験の結果も直接見に来たんですよ。
濵田
そこ(モリヤビル外壁)で貼ってるやつね。
袴田
そうそうそう。そのときに、信濃町からアトリエに歩いて来る時に、拓弥さんが、ちょうどたぶん結果見終わってアトリエから出て信濃町に向かってるのとすれ違って。前の人受かってるんだなぁって。それで見に行って、自分の番号と、拓弥さんの番号と、亜由実さんの番号も確認して、よしって。
濵田
受かった顔してた?
袴田
やっぱり歩き方が堂々と(笑)
濵田
飯嶋はこの3年間、いろんな演出の人の下でやってきてるわけじゃない?印象深い回とかあった?
飯嶋
いやもう全部が色濃すぎて、甲乙つけられないし、どれだとも言えなくて。今回稽古場でみんなの先頭に立つポジションを初めてやらなきゃいけないってなって、本科のときのノートを遡って、全部見直して。だから、どれがとかじゃなくて、あの1年間が確実に、忘れてたとしても流れてるんだなと思って。なにかこうピンチじゃないけど、しなきゃいけないってなったときに、助けてくれるのはあの1年間なのかなと思って。昼間部のみんなで艱難辛苦を乗り越えてきたことが今に繋がってるんだなと思いました。
―情報量多いですもんね、本科の1年って。
袴田
ほぼ毎日みんなと会って稽古してってすごい。
濵田
4回の発表会にプラス授業もめっちゃあるから。
袴田
あれが1番濃かったなって。
④ 役者像や演出家像、将来の目標
―次に、それぞれが目指している役者像や演出家像、将来の目標はありますか。
飯嶋
研究所に入らせていただいて3年間経って、色んな演出家の方の現場にいさせてもらえたことが一番の財産だと思っていて。本当に十人十色だなと思っていて、色んな演出家のあり方があるし、座組の俳優さんと演出家さんの掛け算で何通りでも色の組み合わせがあるから、現場ごとに空気感が変わるっていうのを学んで。毎日「よっしゃ稽古行ってやるぜ!」「あぁやだな稽古場行くの…」っていうのを、私がもし演出家になれるのであれば、「よっしゃやるぜ!」みたいに俳優の人たちが持ち込んできてもらえるような稽古場空間を作れるような演出家になりたいなと思っています。
渡辺
俺自身笑いが好きで、だけどただ笑いだけじゃなくてすごく人間味の溢れる人を演じられたらいいし、そういう人間味を感じられるようなリアルをしっかり作れる役者になって、舞台だけじゃなく映画だったりドラマだったり多岐に渡って活躍できるような役者になれたらなと思います。そのために文学座で一番基礎の芝居ってところを勉強したものがあるから、それを活かせるような、もしくはそれをもっと膨らませられるような役者になって活躍したいです。
濵田
僕は誰かに憧れて俳優を目指したわけじゃないから、あの小さい頃の縁側の襖の中で楽しんでいた初心をずっと忘れないでいようかなっていうのはありますね。あとやっぱり文学座で吹替え実習とかやって吹替えがすごい面白かったから、塩田さんみたいに吹替えも舞台も両方できるような俳優を目指したいなと思います。
袴田
今後もたぶんお芝居続けていくんだろうなって思っています。小さい頃から女優になりたいって思ってたから、それにしかなりたくないみたいなつもりできてたから、今さら外に出ても何もできないなと思ってて(笑)お芝居するのほんとに楽しいし、自分が演じたどんな役でも観てくださったお客さんに好いていただけるような役者になりたいと思っています。めっちゃ悪役みたいなのやってみたい。
濵田
いいねえ、ヒール役楽しいぞ!
袴田
そんな根っからの性格が悪い女いないじゃないですか。
濵田
(『三人姉妹』の)ナターシャとかだったらまた面白かったかもね。
袴田
ああ、でも色気ないからさ……どんどん年齢が上がっていって、そういう雰囲気が出るかは分かんないですけど(笑)、そういう役もやってみたら面白いんだろうなって思います。
⑤ 60期へのメッセージ
―最後に60期へのメッセージをお願いします。
渡辺
60期の皆さん、自分の好きなことがしっかりあるメンツだなと思ってて、好きな芝居だったり好きな表現だったり、好きが強いと思うので、それを活かして、育てて、頑張っていただけたらなって思います。
袴田
私たち59期とはまた別のエネルギッシュさみたいなものを持ってるなって思っていて、最初から「めっちゃやる気あります!」みたいなのがもうガンガン。
濵田
ああ、わかるわかる〜。
飯嶋
そうだったねぇ。
袴田
「これ俺やります!できます!」みたいな。
濵田
礼儀正しさもあるよね。
袴田
「俺なんでもやります!」って勢いがすごく来てて、良いなっていうか、新鮮っていうか、何だろ。ずっとそのままいてほしいなって。積極的だよね、みんな。すごく発言したりしてるから。
飯嶋
発表会の期間ってずっとそのお芝居のことに一日をほぼ費やすじゃない?だから発表会期間の1ヶ月とか、すごいたくさん大変なことがあると思うんだけど、自分なりの息抜きの方法を見つけておくと1ヶ月が健やかに過ごせるんじゃないかと(笑)研修科は芝居漬けになれるいい環境だし、あと私は同世代で芝居を作れる環境っていうのがめちゃめちゃ珍しいと思ってて。外部とかに出て行っちゃったら色んな年代の人とお芝居するっていうのが当たり前になっていくと思うから、同世代だからこそできる空気感がレアだっていう意識が頭の中に少しあると良いのかなって思います。(研修科では発表会が)ずっと続いてるからさ、なんか永遠に続くんじゃないかなって思うじゃん、その時は。だけど意外と一瞬。
濵田
こうやって終わっちゃうんだよ。
飯嶋
そうそうそう(笑)「かけがえのない」だから。息抜きの方法を模索してもらいたいのと、貴重だし、永遠じゃないから、息抜きしながらでも今の環境と時間を大切にしていただきたいなって感じでしょうか。
濵田
まずはさっき飯嶋が言ったように、息抜きの方法じゃないけど、ここ以外の時間を充実させた方がいいっていうのはあるから、みんなたくさん良いもん食って、良い景色見てっていう時間を大事にしてほしい。あとこれは僕の考え方のひとつなんだけど、デカい壁にぶち当たったときに、それを頑張って乗り越えろって言う人ってたくさんいると思うんだけど、僕はそこから、その問題というか壁から逃げていいと思ってて。逃げた後で、例えばその壁の横にエレベーターが付いてるかもしれないし、なんだったらそこからぐるっと周っちゃってその先に行ってもいいわけだし。もちろん筋は通さないといけないけどね、他人に迷惑をかけちゃいけないし。ただ、辛いことに正面から当たることが全てじゃないと僕は思っていて、逃げる勇気っていうのもあるし逃げることで見えるものがあると思うから、60期の皆さんに伝えたいのは、楽していいんだよっていうか、自分を大事にしてねってことですかね。
ーありがとうございました!
0コメント