―積極的になってほしい、もっと出しゃばってほしい―演出家・鵜澤秀行インタビュー

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今回は2023年度第1回研修科発表会『女工哀史』『じゅりあの・吉助』の演出を務める鵜澤秀行さんのインタビューをお届けします。

現在の研究生の印象やご自身の研究生時代の思い出など貴重なお話しを聞かせていただきました。

どうぞお楽しみください!

(演出:鵜澤秀行


――今回、『女工哀史』と『じゅりあの・吉助』を選んだ理由をお聞かせください。


今回はモリヤビル1階でやるっていうことで、アトリエと違って狭いじゃない?そこでできること。研究所委員会の話し合いの中で、あの小さな空間を利用して、身体をダイナミックに使うんじゃなくて、言葉の細かなニュアンスを掘り下げていくような題材をと。もっと言葉に特化した形の発表会というか勉強の場、発表の場をと僕なりに考えたわけです。


僕らの世代って、少年期、青年期になるまで、テレビって無かったわけです。

それまで娯楽の対象って何かっていうと映画とラジオなんです。東京放送劇団の人たちが出演するNHKの「ラジオドラマ」とか。ラジオドラマって君たち聴いたことある?


一同:あります。


それが娯楽だったわけで。例えば、徳川夢声っていう活動弁士、無声映画の時代に「鞍馬天狗はなんとか・・・」とかさ「杉作少年の運命やいかに」とかさ。名前を思いつくままに言うと、樫村治子、徳川夢声、それから東京放送劇団の巖金四郎、臼井正明、七尾伶子とか…七尾伶子っていう人は後に文学座で僕も一緒に芝居をすることになるんだけれども。とにかくラジオのスターっていうのがいてさあ。そういう人たちのラジオドラマを聴いてたかな。あと落語や紙芝居の語りだよね。


今回の発表会は言葉に特化したものにしたいということで、例えばラジオの朗読は大抵小説だったから、小説とかから何か考えられないか…。そしたらふっと、山本安英さんが木下順二の台本を朗読していて、その中の一本に『女工哀史』があったわけです。

ラジオだと姿が見えないけど、舞台だと姿が見えるわけだよね。演じている人の身体が邪魔になって想像が膨らまない。そこで身体も含めての表現行為と語りを両立出来る時間がもてないものかと思ったわけです。そこでまず『女工哀史』を選びました。


次に『女工哀史』は女性中心の演目だから男性をどうしようかなと…。『じゅりあの・吉助』は男が女に惚れた挙句、当時禁止されていたキリシタンになって、体は破滅していくけど純な魂だけが残るっていう話だから、これを男性中心でやってみようかなと。

(『女工哀史』稽古風景)


――研究生にはどのような印象をお持ちですか?


僕も大昔に研究所の生徒だから、「随分僕らの若かりし頃と違うな」と思う。


―どんなところがですか?


まずね、僕ら生意気だった。どう生意気かっていうと、世の中の流れに対してアンチの考え方を持ってないと表現者はダメだっていう時代だったんだよね。僕が入った頃は「新劇」って言葉が生きてて、一方にアングラっていうまた新しい演劇活動があった。僕らとほとんど同世代の人たちがやっていて反新劇なんだよ。新劇なんて生ぬるい、もっと過激な言葉、過激な行動がなければドラマって成り立たない。状況劇場の唐十郎とか早稲田小劇場の鈴木忠志とか天井桟敷の寺山修司とかそういうのが続々と名乗りあげて活動してたわけだよね。

なんかね、そういう風潮があった。生意気だったんだね。それに反して君らはとっても素直に、僕のくだらない話をさ、神妙に聞いてくれる。それがまず違い。


だけど僕が見てて思うのは、君達は人が言うことに対して受身だなって思う。だから自分から「いや、だけどこういう考え方あるでしょ。」とか、「この台詞の言葉の意味の裏側に、こういう気持ちが流れてるんじゃないか。」とか、そういう自分なりの発想や考え方を出してくれる人が少ない。だからしつこく念を押すけどさ。「わかった?俺のこんな説明でわかってくれる?」なんて言うのは「はい、わかりました。」って言葉で流されちゃうとどうも心もとない。まあ僕自身の説得力のなさの為かもしれないけど。その辺が僕たちが研究生の時と違うかな。


―素直だけど受身な研究生に対して、向き合い方で意識していることはありますか?


今ね、それこそ、セクハラ、パワハラって言われてるじゃない。誤解されないように、俺の真意は、この芝居全体を良くするために言ってるんだよってことをわかってもらうような物言い、態度をしようという風には思ってます。


―私達に求めるものや、今回の作品を通して今後こうなっていってほしい、ということはありますか。


まず積極的になってほしい。だから、もっと出しゃばってほしい。「あの野郎出しゃばりで」なんて思う人ってあんまりいないと思うの。この集団・グループでつくるものをもっと良くするために喋る、っていうその方向性さえ違っていなければもっと出しゃばってきていい。「ここが分からないんだよ」とか、「これ何回やらせるんだよ」とか。


一同:(笑い)


「もう疲れちゃったから休憩しようよ」とか、「それでひと息ついてもう一回やり直そうよ」とかそういうようなことってどんどん言ってほしい。


で、今回の芝居で何を学んでほしいかって言うと、語尾がしっかり収まるとか、それから、ここの文章のお尻は次の文章のアタマに繋がっていくんだから音はどうしたらいいかとか、そういう日本語の常識的なこと。あと、これを一人で読むときはどう読むか。今回はみんなで群読なんだけど、自分ひとりでこの小説に限らず文学と対面する時間をたっぷりとって欲しい。「だったら一人で読ませろよ」って言うかもしれないけど。そうじゃなく、みんなで「あ、なるほどね。こう言うと、こういう情景が聞いてる人の耳から浮かんでくるんだ」とかを、ある時は客観的に、ある時は主体的に関わりながら考える・学ぶ。そういうふうな稽古になっていくといいなと思うんです。


君ら、(本科のときに)寺田路恵さんの朗読の授業ってあったでしょ?


一同:はい


寺田さんがどういう授業をなさっているか、僕はあまり見たことないから知らないけど…。寺田さん自身が朗読お上手だもん。ちゃんと音変わるし、音の捉え方が正確だし。だから、それをなんとかマスターしてほしいなあ、と思います。それが台詞の物言いにつながる、っていうのかな。


『女工哀史』では語りの人たちが語っている対象、例えば横山キミなら横山キミっていう人と、語り手である自分との関係が近いのか遠いのか。近い遠いっていっても、さらにその文章のワンセンテンスによって度合いがあるじゃない?心をそっちへ傾けながら言ってる言葉と、批判的に語る言葉と。それをうまく読み取って、発する言葉のニュアンスにどうのせていくか…。

(『じゅりあの・吉助』稽古風景)


――最後の質問になりますが、研究生時代の思い出はありますか?


とにかく楽しかった。何が楽しかったかって、稽古というよりも、同じ研究生同士が出会って、喧嘩したり、酒飲んだり、あるいは恋愛したり。俺はしなかったけどね(笑)そういうのがすごく楽しかった。それからね、ダブルキャストになったやつがお互いにプロンプ(台詞を忘れた人にそっと教えること)やらなくちゃいけなくて。ところが、プロンプやるやつが舞台袖にいて、上手く付けらんなくてアワアワアワアワってなったりとか。

それこそ『女の一生』三幕冒頭。俺は一幕の章介だったから、出番が終わると客席周って観てたの。ふみが知栄に手紙を読み聞かせるシーンで、総子が入ってくるだろ、「あぁ暑い」って。そしたらさ、総子が出番忘れて何かしてたらしい。出てこない。それで困ってさ、ふみ役が「もう1回手紙読もうか。」で、「土着の北京人」って。そしたらさ、楽屋から舞台へつながる階段からドンドンドンドン、ドスンドスンドスンって音がしてさ。それからしばらく経ってから、「あぁ暑い」。お客さんはよくわかんないからポカンとしてたけど。俺たち研究生は可笑しくて可笑しくて…。


一同:(笑い)


――以上になります。ありがとうございました!


インタビュー:研修科メディア係

写真:高澤知里

記事編成:清水芽依


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