【コラム第一弾】 本作『見よ、飛行機の高く飛べるを』に登場する文学作品。 〜読むのも命懸け!? 明治時代の問題作『蒲団』,『人形の家』〜

本記事は、次回発表会『見よ、飛行機の高く飛べるを』をより楽しく、わかりやすく鑑賞していただくためのお役立ちコラムです。

明治末期の女学校を舞台とする本作、現代の感覚ではちょっとわかりにくい劇中の世界観について、研修科1年の喜田・小谷・平体が時に真面目に、時に愉快にご紹介します。

鑑賞前に、または鑑賞後の復習に、どうぞご活用ください!


今回は「劇中に出てくる文学作品」がテーマです。(編集部より)


1.田山花袋『蒲団』(自然主義文学)


↑田山花袋 絵:小谷俊輔


まず1つ目は、自然主義文学の代表作として知られる田山花袋作の『蒲団』

劇中には、初江(女子師範学校四年生)と延ぶ(女子師範学校二年生)が新庄先生(国語教師)に自然主義の本を貸してもらうよう懇願するシーンがあります。

当時師範学校の生徒たちは自然主義文学を読むことが許されておらず、誰かに借りるしか手に入れる方法がなかったのです。

一体「禁書」扱いされた理由はなんだったのか、その代表たる『蒲団』とはどのような作品だったのかご紹介します。


そもそも、自然主義とは?

自然主義とは、「文学で、理想化を行わず、醜悪・瑣末なものを忌まず、現実をただあるがままに写しとることを目標とする立場。(広辞苑)」のこと。19世紀末にフランスにおいて起こった主義運動です。


みなさんは鏡で毎日見ている自分の顔と、写真に写った自分の顔とのギャップでがっかりすることはありませんか?顔が綺麗になる写真のアプリなんかも流行っているように、人間、現実を突きつけられるのはなかなか苦しいわけです。


けれど、自然主義は「現実をただあるがままに写しとることを目標とする」もの。普通の感覚ではちょっと辛いことをしようとしている文学、と言えるかもしれませんね。



スキャンダラスな名作!?田山花袋の『蒲団』とは。

『蒲団』は、日本の自然主義文学を代表する作品の一つであり、私小説の出発点に位置する作品。『新小説』1907年(明治40年)9月号に発表されました。

中年作家の女弟子に対する恋情を描き、大胆な現実暴露によって文壇に衝撃を与えたことで有名です。


あらすじ↓

34歳くらいで、妻と3人の子供のある作家の竹中時雄のもとに、横山芳子という女学生が弟子入りを志願してくる。始めは気の進まなかった時雄であったが、芳子と手紙をやりとりするうちにその将来性を見込み、師弟関係を結び芳子は上京してくる。時雄と芳子の関係ははたから見ると仲のよい男女であったが、芳子の恋人である田中秀夫も芳子を追って上京してくる。
時雄は監視するために芳子を自らの家の2階に住まわせることにする。だが芳子と秀夫の仲は時雄の想像以上に進んでいて、怒った時雄は芳子を破門し父親と共に帰らせる。(wiki)


ここでいう「私小説」とは、「作者自身が自己の生活体験を叙しながら、その間の心境を披瀝してゆく作品」(広辞苑)のこと、つまりこの田山花袋の『蒲団』も、田山自身の実体験に基づく作品であるということです。


この『蒲団』が当時衝撃的だったのは、まずそれが「実体験に基づくもの」であり、「性欲について赤裸々に描いたもの」であったから、というわけですね。


本作の時代設定である明治末年は「良妻賢母教育」全盛期の時代であり、しかも師範学校に通う女生徒は将来教師として有望されている身分でした。このような「性欲文学」はもってのほか。

ですが、18歳前後の少女たちは、いろんなことに好奇心が溢れるお年頃なのです。そのような本をなんとしても読みたい、その気持ちわかりますよね。


彼女たちは果たして新庄先生から『蒲団』を貸してもらうことはできたのでしょうか。その結果は上演をご覧になって確かめてみてください。



2.イプセン『人形の家』


↑イプセン 絵:小谷俊輔


次にご紹介するのは、現代でも上演されることのある『人形の家』。女性の自立を描いたイプセンの傑作戯曲ですが、日本に紹介された当時は大論争を巻き起こしました。

『人形の家』は今回の作品中にも安達貞子(英語教師)が読んでいた本として登場します。

こちらも自然主義文学同様「問題の作品」だった様子・・・一体どういう点が問題だったのでしょうか。


『人形の家』ってどんな作品?

有名な『人形の家』ですが、どんな話か説明できる人は意外と少ないのではないでしょうか。

辞書には以下のように記述されています。

「イプセンの戯曲。1879年初演。弁護士の夫から人形のような妻として扱われていたことに気づいた主人公ノラが、一個の独立した人間として生きる為に家出する敬意を描く。女性解放問題を提起した近代社会劇とされる。」(広辞苑)
「主人公ノラの新たな時代の女性像を世に示した物語であり、フェニミズム運動の勃興とともに語られる作品の一つ」(wiki)


「良妻賢母教育」の時代に。

『人形の家』が初めて上演された明治44年(本作の設定年でもあります。)は、まだまだ「良妻賢母主義」思想が一般的な時代でした。

明治30年代に政府によって推し進められた良妻賢母主義教育により「家」中心の考えが強化されていたのです。

一方で、明治末期に女性の社会進出が進んだこともあり、女性の自己解放と自立が社会的なテーマになってきてもいました。

良妻賢母主義と真っ向から対立する『人形の家』が日本で上演され、受容されたのはこういった背景があったからであり、当時の女性の「自立」の意識の芽生えに共鳴したからだと言えるでしょう。


劇中では「人形の家」は問題作として扱われており、これを教材に使おうとした安達先生への周りの視線は厳しいものになっています。

安達先生の進歩的な試みがどう女生徒たちに影響していくのか、これはこの作品の見どころの一つでもあります。



みなさんいかがでしたでしょうか。

現代は当たり前に誰もが読める本が、当時の女生徒たちにとってみれば、読むこと自体まさに命懸けの行為でした。

そのスリリングなチャレンジを試みた、好奇心溢れる彼女たちの勇気と興奮。是非そこに注目して、今回の研修科第3回発表会『見よ、飛行機の高く飛べるを』をご覧になって下さい。


文・イラスト:研修科1年 小谷俊輔

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