「女子教育の本分はなんといっても、良妻賢母育成だでねぇ。」
「一等国日本の良妻賢母を目指すは、おなごもまた世界に向かって立つということなんだ。」(『見よ、飛行機の高く飛べるを』より)
突然戯曲本文の引用から始まりましたが、今回の物語の舞台は明治末期の女子師範学校です。
今の感覚からすると非常に偏って見えるセリフですね。
しかし、当時は江戸時代から栄えた儒教思想の影響で、“男尊女卑”の考え方が普通でした。
また、明治時代は外国との関わりが深くなった時代であり、「他国に負けない強い国家となること」が国全体の目標となっていました。
国家の基盤たる「家」を安定させること、そしてそれを「国家」の安定につなげることが求められるようになり、"家を守る「良妻賢母」を育成する"という教育方針が採られたのです。
どんな人が女学校へ?
では次に、女学校とはどんな場所だったのかについてご紹介します。
当時の学制は以下の図のようになっており、本作に出てくる少女たちのように、女性が教員を目指すには赤字のルートをたどる必要がありました。
(もちろん途中でお嫁に行ったり、家庭の事情で中退、ということもしばしばでした…)
(文部科学省ホームページ 学校系統図 第5図 より)
今回の物語の主人公、光島延ぶは、高等小学校を卒業した15歳ですぐに女子師範に入学したという優秀な女子でした。
「明治時代、学校に通うことのできた女子は裕福な家庭の子だけだったんでしょ?」
という疑問もでてきそうですが、実は師範学校は授業料が無料(!)で、しかも卒業後は教員になれる保証までついてくるために、優秀でも経済的な理由で高等女学校に進むことのできない子供たちの受け皿にもなっていたのです。
しかし、入学試験は倍率が高く、一握りの優秀な生徒しか入学することができなかったようです。
たとえば今回の戯曲で登場する杉坂初江(作者の永井愛さん曰く、初江は市川房枝をモデルとして描いたそうです!)という女の子は、貧農の出であると描かれているため、お金のかかる高等女学校には進んでいないと考えられます。しかし女子師範学校の入学試験に合格していることから、相当頭のキレた女の子であると想像できます。
女学生の生活は?
女子師範学校がどんな場所かわかったところで次に気になるのが女学生たちの生活。
基本的に、当時の女子師範学校の生徒は寄宿舎生活をしていました。
ここでは、その寄宿舎生活についてご紹介したいと思います。
〈寄宿舎生の一日〉
5:30 (冬6:00) 起床、掃除、黙学、朝礼、朝食
8:00 登校、授業(平常5時限、土曜3限)
15:00 清掃後下校 随時部活動17:00 門限、入浴(舎監、上級生、下級生の順厳守)
18:00 夕食(日曜日の晩に、一週間の献立掲示)
※部活で遅くなれば冷えたご飯やむなし
19:00 黙学(舎監の巡回指導)
21:30 ラジオ体操、消灯
(矢野幸一『県二高女・女子師範物語 愛知県の近代女子教育』2015年 黎明書房 より)
時間はすべてラッパのメロディーで伝えられ、
・夜に出歩くのは禁止
・外出は必ず届け出をして2人以上で行う
更には、
「男と話してはいけない、歩くときは横を向くな、下を向いて行け、男に白い歯はタブー」(矢野、2015年)
などという決まり事もあったようです。
〈授業内容〉
師範学校ですから、高等学校と異なり、教育・教授法の授業や、教育実習も組み込まれていたようです。
そこに、今と変わらない英語・国語・数学・社会・理科・音楽などの授業に加え、習字・裁縫・家事・修身などの授業もありました。
テスト期間にはとても勉強が間に合わず、消灯後も押入に灯りを持ち込んで、内緒で勉強するなんてこともあったとか。
卒業後は、高等師範学校(中学校や高等小学校の教員を養成する学校)に進学するものや、お嫁に行くもの、尋常小学校に教員として勤務するものなどがいて、それぞれ様々な進路に進んでいったようです。
〈女学生の趣向〉
これは女子師範学生とは限らない、女学生に共通する話になりますが、
明治32年(1899年)の全国高等女学校長会議では、女生徒が小説を読むことが禁止されました。
特に恋愛小説などを読むことは、時間の無駄である上に、年頃の女子が虚偽と現実を混同して品行方正の道を外れると懸念されたのです。
しかし女学生たちもおとなしくただその命令に従ったりはしません。どうにかして手に入れた小説を、仲良しグループの中で回し読みをしたりすることもあったようです。
また、「海老茶色の袴を着て、束髪を結いリボンを結び、ブーツを履く」という、いわゆる『ハイカラさんが通る!』スタイル(髪型は若干異なりますが…)は、同じくこの頃に東京から流行しはじめた服装だったようです。
女学生同士で着物や髪型の美しさを競い合うのも常だったとか。その年頃の女子がおしゃれに対して敏感なのは、当時も今も、きっと未来も変わらない性質なのかもしれません。
おわりに
国家の定めた「良妻賢母」の教育方針は当たり前。
更にちょっとでも親族以外の男性と交流があると「堕落女学生」のレッテルを貼られてしまうような社会で、彼女たちは時に疑問を感じ、それでも大いに楽しみながら学生生活を送っていたことでしょう。
この戯曲と向き合い、当時の女学生のことを調べるにつけ、そのことをひしひしと感じます。
明治末期、1911年という時代を生きる女の子たちの姿を、時代に翻弄される大人たちの姿を、是非劇場に観にいらしてください!
文:平体まひろ
参考文献・参考URL
稲垣恭子『女学校と女学生 教養・たしなみ・モダン文化』(中公新書 2007)
矢野幸一『県二高女・女子師範物語 愛知県の近代女子教育』(黎明書房 2015)
ウィキペディア「師範学校」(2018-9-23参照)〈https://ja.wikipedia.org/wiki/師範学校〉
文部科学省ホームページ「学校系統図」(2018-9-23参照)〈http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318188.htm〉
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