”嵐が丘”の記憶 『少女仮面』コラム①

みなさんこんにちは!
研修科1年の池亀瑠真です。🐢
『少女仮面』の稽古が始まり、歌の練習、工作などやりがいのある楽しい日々が続いています‼️

(なにやら作業中の川合耀祐鈴木結里)


研修科1年の小林彩ちゃんが書いてくれた
稽古場レポートに”稽古の様子”が
かかれていますのでぜひぜひご覧いただければと思います✨
もちろん、今後のレポートにも注目ですよ〜〜!!!!!!!

さてさて、わたしのこの記事では、
今回劇中で何度か話題に上がる
小説・『嵐が丘』についてご紹介します。


①『嵐が丘』のとっっっっても

     簡単なあらすじ



人間嫌いの青年、ロックウッドは人里離れた田舎の屋敷を借りて移り住むことに。
その屋敷の大家に挨拶をするため、嵐が丘の屋敷に住む、ヒースクリフを訪ねます。

そこで不思議な屋敷の面々に出会い、
物語は始まります。



身寄りのない男児ヒースクリフは嵐が丘に住むアーンショウ家の旧主人に拾われ可愛がられました。

しかし幸せな日々は突然終わりを迎えます。

その主人がなくなり息子のヒンドリーが主になると、ヒースクリフは可愛がられていた
生活から一変、下働きにされてしまいます。
それはヒンドリーが自分の地位を脅かす存在だとヒースクリフを恐れていた故の行動でした。

そんな中でも仲良くしてくれたのがヒンドリーの妹のキャサリン

次第に彼らはお互いに”恋心”を持つようになります。

しかし彼女は上流階級の生活に憧れて
リントン家のエドガーと結婚!!!
それにショックを受けたヒースクリフは
失踪してしまいます。


やがて彼は裕福な紳士となって『嵐が丘』に帰ってきますが………。
それは自分を追い詰めた人達に”復讐”するためだった…!!!
そこから”悲劇”が始まります。



②『嵐が丘』の作者、「エミリーブロンテ」ってだあれ??



1818年7月30日、イギリスのヨークシャーのソーントンに牧師パトリック・ブロンテの
四女として生まれたエミリー・ブロンテ
(エミリーブロンテ)

はやくに母親を亡くし、母の姉エリザベスが母親代わりだったという幼少期。

エミリーは6人兄弟の5番目
(姉3人、兄1人、妹1人)
その中のシャーロット、エミリー、アン
3人は

イギリスのヴィクトリア時代を代表する”小説家”

なんですよ〜!!
姉妹で文才に恵まれたなんてとても素敵ですね。


そんな三姉妹の父パトリックは田舎の小さな村の牧師ではありますが、優秀な頭脳を持っていたんだそう。
文学を嗜み、学生時代には詩や散文を発表しています。

もしかしたら三姉妹の文才は父親譲りなのかも知れませんね!



1824年、エミリーは姉達と一緒に寄宿舎に入ります。
しかしそこは衛生状態が悪く、
栄養失調からの結核で姉2人がなくなります

それにより家に戻されたエミリーは
姉のシャーロットと伯母のエリザベスから
教育を学び、ほとんど学校に通いませんでした

遊び場はいつも自宅の裏に広がる
荒野”だったそう。

姉シャーロットによると、エミリーは
『荒野に育てられた子』

「荒野が大好きで、どんな天気でもおかまいなしに出かけて行って、気持ちのいい風を楽しんでいた。」
と教会の雑用夫も語るほど。


荒野が大好きだった女の子がなぜ小説家
なったのか…。
環境がそうさせたと言っても過言ではないと思います。

ブロンテきょうだいは、本を静かにじっくり読んでいる間は自分の世界に入り込んだ。それは彼らにとってとても大切なことだった。

牧師館にひとりになれる場所がなかったからだ。姉妹は、自分の部屋はおろか自分のベッドすら持っていなかった。

しかし、本を読む時はどの部屋にいても、そこがたちまち自分だけの世界になった。
家中の窓の側にある腰掛けに座れば、広々とした荒野を眺めながら読書に浸れた。
(中略)
ブロンテきょうだいは、本を持って荒野を散歩した。

幼い頃から夢中だった読書
そして物語や雑誌を作って遊んでいたという三姉妹

創作活動をすることで空想世界に
思い耽ったのです。
自ずと文学の道に進んだのも頷けます。


(兄ブランウェルによる小説家ブロンテ三姉妹の肖像画を研修科生で真似してみました。左から影井蘭田村真央常深怜)


そして時は流れ…
1846年、シャーロット、エミリー、アンの
三姉妹は、女性作家は偏見によって見られるという理由から男性風の筆名で
”カラー、エリス、アクトン・ベルの詩集”を自費出版します。

エミリーは「エリス・ベル」という筆名を使っていました。


でもこの詩集は当時2部しか売れなかったそう…。
しかし今ではエミリーの詩が最も評判が高く、よく読まれています。


1847年発表のデビュー作『嵐が丘』も「エリス・ベル」の筆名で発表しています。

シャーロット(カラー・ベル)の
『ジェーン・エア』、

アン(アクトン・ベル)の
『アグネス・グレイ』、

エミリー(エリス・ベル)の
『嵐が丘』と、姉妹揃って同年に刊行します。

同時期に小説を発表した3人。
同じ姓であること、筆名が男性風であることから
”1人の男性が3つのペンネームを使い分けているのでは”と話題になったのだとか〜〜。

シャーロットの「ジェーン・エア」は大好評。
しかし『嵐が丘』は不評でした。
評価が高まったのはエミリーが亡くなったあとでした…。


1848年 風邪から結核を患ったエミリー。
しかし彼女は自分が病気であることを認めようとせず、薬を飲むことも拒否したといいます。
同年12月19日に30歳の若さでエミリーは亡くなりました。

生涯のほとんどを父親の牧師館で過ごし、家族以外には友達を持たず、滅多に人と口をきかない内気な性格だったというエミリー。

兄弟が皆亡くなった後、姉シャーロットは幼少時代をこう振り返っています。

『家族以外の人と交わりたいとは少しも思わなかった。私たちは自分ひとりだけで、または家族だけで本を読み、学び、そのようにして楽しく日々を過ごしていた』


エミリーも同じことを感じ、考えていたのではないかと私は思います。

大好きだったという風の吹き荒ぶ荒野が彼女の1番の友人だったのではないでしょうか。







③『嵐が丘』 ~作品について~


前項でもちょっとだけ触れましたが、『嵐が丘』はエミリーブロンテが29歳の時に発表したデビュー作であり、”唯一の長編小説”。

【世界の三大悲劇】【世界の十大小説】と称されています。



原題は 『Wuthering Heights』
ヨークシャーのハワースにある「トップ・ウィゼンズ」という荒野の廃墟を作中登場する屋敷のモデルにしていて、
同じくハワースの厳しい荒野の自然と共に物語は展開していきます。

「wuther」は「風がびゅーびゅー吹き荒れる」を意味する語、
「Wuthering Heights」はアーンショウ家の屋敷のこと。

これを斎藤勇が『嵐が丘』と日本語訳しました。
センスの良すぎる和訳で心に刺さります。


アーンショウ家とリントン家、2つの家で三代にわたって繰り広げられる“復讐“や“愛憎”もさることながら時系列が入り乱れている複雑な文章構成。
そして語り部が次々に変わる表現は難しく、発表当時は不評だったといいます。


しかし不評だった構成部分、語り手が嘘をついたり、時系列が入り乱れているところが巧みな戦略だと今は評価されているんです。

確かに複雑ではありますが、何度も何度も読み返したくなる、不思議な魅力に溢れた作品です。


『嵐が丘』が大のお気に入りだという唐十郎さん。
『少女仮面』と『嵐が丘』の関わりをぜひ劇場でご覧ください。
お待ちしております。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
観劇の予備知識としてご活用いただけたら幸いです。



文、イラスト、写真・池亀瑠真


Wikipedia エミリー・ブロンテ
Wikipedia嵐が丘
新潮文庫 嵐が丘
エミリー・ブロンテ 著
柏書房 ブロンテ三姉妹の抽斗  
デボラ・ラッツ著

文学座附属演劇研究所研修科
2019年度第3回発表会『少女仮面』

は、

10月10日(木)~10月13日(日)

新モリヤビル一階
にて上演されます。
お電話 03-3351-7265(11時~18時/日祝除く)もしくはwebにてご予約ください!
発表会詳細はこちらからご覧いただけます!


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