―平和を守るためにできることはきっとあるはず―演出家・松本祐子インタビュー

いつも研修科を応援いただきありがとうございます。今回は 2023 年度第 3 回研修科発表会『ペンテコスト』の演出を務める松本 祐子さんのインタビューをお届けします。

どうぞお楽しみください。

                                (演出:松本祐子


――今回の発表会で『ペンテコスト』を選んだ理由を教えてください。


物理的な理由としては、今回の発表会の参加人数がかなり多かったので、それぞれの俳優さんがしっかり自分の役と向き合わなければできない作品を選びたいなと思い、これが候補に挙がりました。あとは、作品の中で絵画がいっぱい出てくるので、研究生の中に美術家がいないとできない。これ、発注して描いてもらったらものすごいお金がかかってしまうので、美術家がいない期はこの作品はできないと思うんですよね。


精神的な理由は、私が 30 歳そこそこの時にこの作品を観たんですけれども、なんだかすごい熱量で本当にびっくりしたんですよね。それで台本を取り寄せて読んでいって。今の(研修科生の)皆さんと同じように、私も最初はわからないことだらけだったんです。何が書いてあるのか、何がどう問題なのか、わからないことが多かった。ただ、作品を観た時のどうしようもない感動が確実に自分の中にあったので、どうしてもやりたいなと思ってリサーチしたら、色んなことが現実の世の中で起こってるんだなとか、いかに自分が何も知らずに平和に、のほほんと生きてきたかとか、そういうことを思い知らされたんですね。


この作品って、宗教とか民族とか言語の違いを超えて、人はどう共存できるのか、もしくはできないのかということを問いかけてるし、歴史を正しく知ろうと努力することの重要性がすごく押し出されている作品だと思うんです。この作品が書かれた 1994 年当時よりも、2015 年くらいから、歴史修正主義が以前より幅を利かせてきてると皮膚感覚で感じています。それに対する危機感とか、生きてくうえで心に留めておきたいことがいっぱい含まれた作品だなと思ったんです。私も(研修科生の)皆さんの年代の頃に、広い世界に目を向けることはそんなにしてこなかったと思うんですけど、広い世界では色んな良い事も悪い事も起きていて。それはどこかで、細々とだけれども自分の行動と連結しているということが、この作品をやると感じられるようになるのではないかなと思ったし、観て頂いた方にもそれが伝わるといいなと思うので、そういうことを感じる芽みたいなものが皆さんの中にも生まれたらいいなと思ってこの作品をやろうと思いました。


特にここ数年は、ウクライナの戦争のこととか、それ以外にもアフリカでは内戦があったり、アゼルバイジャンのこと、そしてパレスチナとイスラエル…、今 1 億人くらいの難民がいるらしいんですよ。日本の国力は段々落ちてきているものの、今自分達は平和に生きることができている。でもそろそろ平和じゃないよって煽っている報道もある。それに対して、いつまでも平和を信じるのも頭がお花畑だと思うんだけれども、平和を守るためにできることはきっとあるはずだから、何をどうすればいいんだろうみたいなことを小さなことでも探したいなとか、そういうことを感じて頂けたら嬉しいなと思うんですよね。あとはとにかく、演じるにあたってものすごく「演劇体力」のいる作品なので、演劇作品を構築するにあたって相当やらなければいけないことがある。そこに対して熱量と知識と想像力を注ぎ込んで、尚且つ、強烈な勇気を持って、恥をかくのを恐れず、自分のものにしていく努力を弛まずやるみたいなことが、個々人に要求される作品だと思う。それは研究所の発表会として非常に意味深いことであろうと思ったので、「みんな頑張れ!」と思って選んだっていう部分もありますかね。

もちろん難しいとはわかってはいるんですけど。


――アトリエの会での公演や 6 年前の研修科発表会でも『ペンテコスト』を上演していますが、その時の思い出はありますか。


アトリエ公演でやった時は、とにかく自分も知らない事がありすぎてリサーチが大変だったのと、やっぱり語学の先生をどうやって見つけるかが大変でした。国際語学センターみたいなところに行っちゃえば良かったのかもしれないけど、ちょっとお金が掛かり過ぎちゃうので、自力で探せるところは探そうと思って。トルコ語の場合は日本トルコ民間友好協会に電話して主旨を説明して、そちらの方が先生を 1 人ご紹介下さって。そしたら物凄く親日家の方で、お家に呼んで下さって、ご飯をご馳走してもらって、色々お話しさせて頂いて。スリランカのシンハラ語の場合は、大使館に 1 人で行って作品の内容を説明して、 参事官や大使の方にも挨拶をして、結局受付のお嬢さんが「じゃあ私が教えるわ」って話になって教えに来てくださり。本当に手探りで、作品をやるための準備をひとつひとつやっていった記憶があります。


6 年前に研修科の発表会の時は、いかに自分が戯曲を読めていなかったかが良くわかって、本当にやってよかったと思いました。やっぱり最初だから勢いと思い込みでやっちゃってた部分があったんだけど、再演すると冷静な目で作品を観られるし、一回やってるからなんとなく青写真は見えてるので。この台詞はもっとここを刺激したくて言ってたんだなとか、これを言われたらこの人はこういうリアクションをすべきだったんだなとか、色んなことがより一層わかりました。どんな作品でも、再演すると自分に腹が立つ。初演の時になんでこれに気付けなかったんだろうっていう自分の限界の狭さというか、「どうしようもねえな松本」って思ったりするんですよ。でもこれはさすがにそれがものすごく多くて、「うわぁ、わかっとらへんかったやんけ」って思ったので、再演してすごく良かったと思って。逆に言えば自分が見落としていたことが色々拾えて、ここでもこんなすごいことを言っているとか、こことここがこういう風に繋がっているとか、この作品にはある種サスペンスものを読み進める楽しさみたいなものもあるなと思っているので、そういう所がいっぱい見えてきて私個人はすごく面白かったんです。役者さんたちも、もちろん今のみんなと同じように、「ひぇ、難しい」と言ってやっていたんですけれども、ある段階からみんながガラッと変わっていった瞬間があって。自分の役どころがだんだん腑に落ちてきて、見えてきた。言わなくてもここはリアクションできるんだなとか、ここはこういうことができるんだなとか、そういうことを俳優が発見していく過程を見られたので、ちょっと自画自賛しちゃうけど、まあまあいい作品になったんじゃないかなという感覚は持てたんですよね。ただ、公演日が四谷祭りと被ってて、アトリエに近い通りをパレードで通るんですよ。楽しげな音楽が、ドントカダンダンドントカダンダンダン…ここで人質抱えてえらい深刻な話をしてるのに、ドントカダンダンドントカダンダンダン…微かに聞こえてくるみたいなのがちょっと腹立たしいというか、そんな事もありましたけれども(笑)


一同:(笑い)


作品の骨格みたいなものが見えたので、再演はすごく良かったなと思ってます。だから今回も、「イェドリコーヴァめっちゃいい役じゃん」とか。自分がその年になってしみじみ分かることがあるので。若い頃はガブリエラのひたむきさとか、ヤスミンの一生懸命さみたいなものにすごく共感を持っていたんですけど、今はイェドリコーヴァにすごく共感を持てて。あぁそうだよなって。自分こんなに頑張って苦労もしたのに、若い世代になんにもそれが伝わっていなくて、どんどん世の中が違う方に進んでいるのを、手をこまねいて見ていることしかできない居たたまれなさにとってもシンパシーが湧いたり。だからそういう意味では、3 回目でまた違う発見ができるだろうなと思って楽しみながらやってます。


――今まで観た芝居で印象に残っているものを教えてください。


「わあ、すごい」と思ったのは、私が 23 歳か 24 歳の時に観た、ロシアのレニングラード・マールイ・ドラマシアターという劇団でレフ・ドージンさんが演出した「兄弟姉妹」という六時間の作品です。コルホーズとかソフホーズとか五カ年計画とか、農業を何年かけてこの村はこれだけの収穫を得ますよみたいな、片田舎の農民たちの村の話で、その村のいくつかの家族の話が村全体の話として行われていくんですけれど、なんかものすごい感動しちゃって。本当にそれぞれの人々があまりにも一生懸命生きていて、でもあまりにも色んなことが上手くいかなくて、それでも一生懸命生きていて、無茶苦茶感動して。東京で泣いて、札幌まで追っかけて、カーテンコールで号泣して、隣のおばさんと手を取り合って、知らない人なのに、「よかったですよね」とか「私たちも頑張って生きていきましょうね」とか言っちゃって。それがすごく印象に強い作品ですかね。


あと、卒論でピーター・ブルックを選んだんですね。その頃は「マハバーラタ」という 9 時間の作品を引っ提げて来日していたのですが、その数年後、パブリックシアターで、ピーターブルック演出でエイドリアン・レスターが主役の「ハムレットの悲劇」っていう作品を観て。すごくカットもしてて、2 時間くらいのシンプルなハムレットになってるんですけど、ものすごくハムレット君の気持ちがわかって。「ハムちゃん、わかる、つらいよね〜」とか、「わかるよ〜ハムレット!大変だよな〜!」みたいな気持ちになって。それはすごく、「あぁ、こんなにシェイクスピアを身近に感じるって素敵」って思って印象に残ってる。


あとは 20 代の頃に、イアン・マッケランのリチャード三世が来たんですよ。グローブ座が所謂単体の劇場として存在していた時に。あそこってほら、「グローブ座」って言うように、シェイクスピアの「グローブ座」を模して作っているので、いっぱい海外からシェイクスピア作品が来てたんですね。その中の一つで『リチャード三世』を観たんですけど、それもやっぱり「リチャード、お前の気持ちもわかる」て思ってしまって(笑)。リチャード三世って悪人じゃないですか、ばんばん人殺して。でもその根源にある、身体障がい者であることのコンプレックスとか、そういったものが人間的に描かれていてとても面白かったですね。



あとは、2017 年にウィーンに行ったときに観た『民衆の敵』と、2018 年に静岡芸術劇場(SPAC)で観たベルリン・シャウビューネ劇場の招聘公演の『民衆の敵』ですね。どっちも同じイプセンの『民衆の敵』なんですけど、全く違って面白かったですね。『民衆の敵』って「民主主義って何なんだろう」とか「環境汚染と経済効果のどちらを優先すべきなんだろうか」とかそういうテーマを含んでて、そんな作品を 100 年前にイプセンが書いていることがまず凄いなと思うんですけど。ウィーンの方もシャウビューネの方も、「作品が現代の観客に何を問いかけようとしているのか」ということにすごくシビアにこだわって作っていて、そのこだわりの徹底さが自分には全くもって足りていないと思ったので、すごく勉強になりましたね。心を持っていかれるというよりは、思考回路を活性化させられるような感じですごく刺激的な作品でした。『民衆の敵』の中で講演会を行う場面があって、原作では 12 人ぐらいの市民たちが配役されているんですけど、シャウビューネの方はそれをお客さんにしちゃうんですよ。本当のお客さんにマイクを渡して、あなたがここに対して問題だと思っていることは何ですか?とか、なぜこっちに賛成するんですか?みたいなことを言わせるっていう。つまり民主主義って何?多数決って何?みたいなことをやらせるんです。片やウィーンで観た『民衆の敵』は、たくさん人が出てくるはずのシーンなのに主人公1人しか出てこなくて。セットがすごい巨大で、庭の可愛い置物のような、七人のこびとみたいな人形がいっぱい置いてあるんですけど、そのようなセットで巨大な人形たちがじーっと主人公を見ているように見えるんですよ、角度で。彼は一生懸命それに向かって正論を喋ってるんだけど、愚かな大衆には何も響いていない、届いていないやっていうことが視覚化されて伝わってくるみたいな。どっちも全然違うんだけど問いかけるという点では、いま正論を言うこととか、言ってる正論らしきものは果たして本当に正論なのだろうかとか、そういうことをすごく伝えてくる演出であることは共通していて。原作とは全然変えてあるんだけど、原作がそもそも何を伝えたいのかを突き詰めて変容させてるってことがまだまだ私は苦手だろうなと思ったので、とても面白かったし「考えなければならぬ」っていうふうに思わされた作品でしたかね。


あとは国内だと、鄭義信さんが新国立劇場でやった『焼肉ドラゴン』。私は鄭さんの作品をずっと演出してるじゃないですか。それは自分が一緒にやるようになる前から、それこそ鄭さんが新宿梁山泊に役者として出てた頃から鄭さんの作品が好きで、ずっと観てたんですね。自分がデビューするときに書き下ろしていただいたし、個人的にも仲良くさせていただいてるので非常に思い入れのある劇作家さんなんです。鄭さんの作品はいつも似てる部分があって、やはり彼の在日のルーツ、家族の話がでてくるんですけれども、『焼肉ドラゴン』はその中でも集大成だったと思うんです。それまで鄭さんって、固有名詞の国名を書かなかったんですよ。「帰還事業」という北朝鮮に帰るムーブメントがあって、この間の「五十四の瞳」を見た人は分かると思うんですけど、インチョルソンセンニムが北に帰るっていう。彼は『焼肉ドラゴン』以前はそのことを「向こうへ行く」っていうセリフで書いてて、「北朝鮮に帰る」「北朝鮮に行く」「韓国が」「済州島が」とか、そういう固有名詞を書かないで表現してきたんですね、鄭さんなりのこだわりがあって。でもやっぱり、新“国立”劇場でやるっていう事で、なおかつキャストの半分が本物の韓国人だったので、 彼は国名をバンバン書いたんですよね。済州島で虐殺があったこととか、それによってそこから逃げて日本に渡ってきた人がいっぱいいたこととか。彼は国名を書かないっていうある種の思いがあって、でもここで書くってなった時の覚悟みたいなものを舞台からひしひしと感じて。個人的にお付き合いもある方で、なおかつ俳優も、私が韓国で鄭さんの芝居を演出した時に出てた方もいたので、いろんな意味で心が持ってかれる作品で、やっぱり泣かずにはいられなかったなっていう風に思います。これは国内では結構印象が強いです。


芝居の話を始めるとずっと喋っちゃいますよ?(笑) やっぱりお芝居見に行くのは大好きなので時間があればなんとか行きたいんですけど、それでも全部見れなくて。今週も一本見られないのがあって、知ってる人が出てるし、すごい評判がいいから行きたいんだけど、ちょっとごめんって感じで。すごい残念。


 ――最後に、祐子さんが演劇をやる理由を聞かせてください。


自分 1 人の人生だったらそんなにすごいことは起きないだろうし、色んな事を考えなくても、なんとなく毎朝起きてあまり刺激のない日を紡いでいく事も可能だと思います。でも演劇をやってると、そもそも台本に書かれてることって、私たちの日常を超えて大変だったり、嬉しかったり、人に何かを要求してたり、怒ってたり、精神的にも知的レベルでも、普段私がぼやっと 1 人で生きているだけでは経験できないようものが、演劇作品には詰まっている。それによって経験を疑似体験できている気がしていて、それが私にとっては楽しい。あと、それを自分たちだけでなくて、観客というもっと多くの人に同時に経験していただいて、それぞれ勝手にその人たちなりの受け止め方をしながらも経験を共有できているってことが私はすごく面白いなって思っているので、この業界が好きなんだと思います。


あとは、絶対飽きない。稽古期間は長くても 2 ヶ月くらいで、公演は作品によるけれど 1、2 ヶ月くらいだとすると、全部で 4 ヶ月くらいしかその人たちともその作品とも付き合えなくて。しかも公演が開くまでの 1 ヶ月半くらいってだいたいシャカリキじゃないですか。「時間足りないやん!」って。だから一切飽きる時間がないし、公演が開いたら演出家は長くても最初の 1、2 週間しか劇場に行かないから、すごくお付き合いが短くなってしまう。それくらいだったら飽きないですよね。人間が相手なので、必ず新しい発見があったり、まぁもちろん、新しい良くないことが起きることもありますけど(笑) 何かしら新しいことが起きるので、退屈する暇がないっていうのが演劇のとってもいいところだなと思っていて。なので辞めたいって思ったことも 1 回くらいしかないです。自分がいかに才能がないかっていうふうに感じちゃったときに、自分に腹が立って嫌になって、「あぁ、もう辞めちゃおうかな」って思ったことが 1 回だけありますけど。でもそれ以外はどんなに自分がダメだと思っても、まあ明日なんとかしてみようって思えるので。だから、毎日新たな発見とか刺激とかがあって、それを最終的に色んな人と共有できる、こんな楽しいことってないじゃん、って私は思うんです。で、おまけに、出来が良かったら拍手もらっちゃったりなんかすると嬉しくなっちゃうって感じで。もちろん大変なことはいっぱいあるんですけど、でも楽しいなぁって。こんなに飽きないことはないんじゃないかなぁって思ってるんです。それが好きな理由ですかね。だから今、続けてるって感覚も実はあんまりなくて。皆さんも今 1 年間がめちゃくちゃ早いでしょ?うちの研究生になってからの 1 年ってそれまでの日々と全然スピード感が違くありません?で、公演の稽古始まっちゃうと 1 ヶ月半が瞬く間に過ぎていくでしょ?私はそれが年に 6、7 本あるんで、そうすると気がつくと 20 年くらいはあっという間に…。


一同:20 年?!(笑)


10 年くらいはついこの間って感覚だもん。20 年もまあまあ前みたいな感じ。だから、「ひゃーっ」って。「どうする?!こんな時間経ってるよ!」っていうふうに最近は思ってます。だからちょっとね、心は浦島太郎みたいになっちゃってるかもしれない。「やばいやばい」と思います(笑)


一同:(笑い)


――以上になります。ありがとうございました!  


インタビュー:研修科メディア係

写真:木下綾夏浴聖太

記事編成:櫻井優凜木下綾夏高澤知里

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